現実を離れた「生きる意味」を問わないこと―『超越と実存』南直哉
『超越と実存』哲学者みたいなお坊さん 哲学者みたいなお坊さんが、南直哉です。 まずタイトルから『実存と超越』とは、哲学書ですね。僕も哲学書だと思って立ち読みし、すぐ買いました。この本で南直哉は、そもそも仏教の本質とは何か…
私も「永遠の今」(西田幾多郎)とか使って、
何か言った気になりがちです。
同じ本を読んでる相手と話す時なら、
固有名詞を使う意味もありますが、
そうじゃないなら、
相手の知らない専門用語を使って話す
ただの意味わからん人になってしまいます。
特に哲学が好きだと、
今書いている小説の1人を、
余りにもキャラ過ぎるなと考え直す。
ポリフォニー小説の人物たちは、
決して黙らず、外部から決定されずに、
己の声を叫び続ける地下室人なのである。
作者でさえも、彼らを1つの意味や位置に閉じ込めることはできない。
作者を無視して、
「生きねば」のための読書とは、
生活者として生きることの大変さを
前提とした上で、
読書を通して、
「生きねば…!」と、
心から思わされることである。
あえて、仮想敵を言えば、
アカデミズムと
ポジティブシンキングかもしれない。
ポジティブシンキングは、
今日は校庭で
蒸し暑い中サッカーの審判など。
暴力的な睡魔に襲われている。
久しぶりに気持ちよく眠れそうだ。
学童の正社員を辞めた今も、
仕事を通して毎週子どもたちと
関わり続けられることの有り難さ。
原点は、「カラマーゾフ万歳」である。
朝5:30に起床し
読経と座禅の1時間半の日課
始まって2ヶ月が経った。
禅の先輩が誘ってくれたおかげだ。
zoomを繋いで座禅をしている。
体力的にきつい日もあり、
今日は頭痛きつかったが、
しかし、
うとうと坐禅になったとしても
同じ時間を守って続けることの
大切さがある。

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