1,私たちひとり独りが生きている「この人生・この世界」の影の面・闇の面と向き合いつつ、「それでも、生きねば…!」と「生き直す」ための、ばさばさ個人の研究です。
2,ぼく個人の主観的・実存的な研究報告に対して、あなたという「もう一つの絶対の人生」からの反応・コメントあってこそ、生きねばの輪が広がります。どうぞ気軽にコメント下さいませ。
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生きねばブログの詳しい説明
1,私たちひとり独りが生きている「この人生・この世界」の影の面・闇の面と向き合いつつ、「それでも、生きねば…!」と「生き直す」ための、ばさばさ個人の研究です。
「私はいったい何のために生きているんだろう…」
「どうしてこの世界は、こんなにも非道くて、不条理なんだろう…」
何かの拍子にふと立ち止まったとき、
この世界・この現実を生きることは、時にハードで、悲しくて、虚しくて、辛いものにも見えます。
「この世界」について真剣に・真面目に考えれば考えるほど、悲観的になるのがむしろ自然ではないでしょうか。
ぼく自身も大学時代はそんな絶望の底で、堂々巡りの思索と読書に埋もれて暮らしていました。そんな闇はうまいこと誤魔化して、上手にやり過ごして生きることができたなら、今はもっと別の人生を送っていたでしょう。
しかし、それらの絶望的な問いと格闘を続けたからこそ、様々な人との出会いがあり、またこのブログも誕生しました。ぼくはぼく自身の人生を生きることができて良かったと、今は思えます。
因みに、「生きねば」の直接の出典はジブリ映画の『風立ちぬ』(堀辰雄、更にポール・ヴァレリーへ遡る)であり、宮崎駿の漫画版ナウシカの最終コマです。
2,ぼく個人の主観的・実存的な研究報告に対して、あなたという「もう一つの絶対の人生」からの反応・コメントあってこそ、生きねばの輪が広がります。どうぞ気軽にコメント下さいませ。
どの研究も、「私一人にとっての生きねば」でしかありません。ぼくにとっては、私の人生こそが誰とも比較不可能な「絶対」の人生です。同様に、あなたの人生は、あなたにとって絶対唯一でこの宇宙に一つだけの人生です。
「私(ばさばさ)の生きねば」は、あなたにとっては「参考」でしかありません。あなたはあなた自身にとっての「絶対の生きねば」を探し求め、維持し続けていく必要があります。
ぼくはぼくにとっての「生きねば」しか語ることができないからこそ、あなたの「生きねば」をあなたの言葉で語って、ぼくに、そしてこのブログの読者の皆さんに教えて欲しいと思っています。
いろいろな方の「生きねば研究報告」が上がってくるブログになったら、本当に面白いし、生きていくためのヒントに溢れるブログになるんじゃないかと思っています。あなたの「人生記」も募集しております。
ブログ記事の成立的分類(些末なことなので興味ある方のみ)
大きく2つに分けられます。
1,主に読者のみなさまに向けて、ある程度まとまったメッセージを伝えようと書いた記事。
みなさまの人生(あるいは読書)に役立ちそうなことや、お伝えしたいことを書いた記事です。
良くも悪くも「うまくまとめている記事」です。
「『まとまっていること』は善いことではないのか?」とお思いになるかもしれません。しかし、ぼくは人の心は決してまとまっていない、カオスだと考えています。
同じ悩みから、同じ解決策へと、同じような道を何度もいったり来たりして、そのことに気づきません。
そもそも「思考」自体が、そのつどの思いつきを、そのつどの思いつきでもってひっくり返す。積み重なっていくなんてことはほとんどなくて、そのつど「新しいふりをした思いつき」に塗り替えられていくようなものだと思います。
だからはっきり言って「まとまった思考」なんて嘘です。しかし、「嘘をついてでも語るべきことがあるのではないか?」。
だから、「良くも悪くもうまくまとめている記事」なのです。
2,主に自分に向けて、自分に対して素直に書いた記事を、ブログでお見せできる形に少し手を加えた記事。
こちらは良くも悪くも「うまくまとめていない記事」ということです。だから話は紆余曲折しますし、何を言いたいか自分でもわからない。自分が何を思い、何を書こうとしているのかもわからないこともあります。
しかし、こうした「うまくまとめていない記事」を提供することにも、価値があると思っています。いわば「手記」的な記事です。一人の人間が、「自分に対してどんな独り言を言っているのか」を提供するということです。
いずれにしても、「自分(こころの在り方)に対して素直に」書くことを目指している記事です。
カテゴリー「ばさばさ記」や、「小説創作」にある記事はほとんどがこちらです。⇩の「らしい散文」の第一弾がこのことついて書いてます。
それぞれの記事が1と2のどちらの記事なのかは読めばわかると思います。「何が言いたいのかよくわかんない記事」は2です。
大切なことは、1と2との記事の間ではたくさん「矛盾」があるということです。
1の記事では「うまくまとめる」ことを通して「嘘」を書いているからです。
2の記事では「うまくまとめない」ことで「自分(こころ)の生の在り方」をできるだけ離れないように書いているからです。
ぼくは、この2種類の記事が並立していることを大切にしたいです。
人は自分に「嘘」をついて励ましつつも、自分に「素直に」なって生の自分を癒すことが必要だと思うからです。人は矛盾そのものです。矛盾の間に「よりよく引き裂かれつつ在る」ことを目指すべきなのかなとも思います。
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