西田幾多郎の宗教哲学②ネルケ無方様(安泰寺)「why(なぜ生きるか,生きる意味)を徹底してこそのhow(いかに生きるか)」
西田幾多郎の記事に、安泰寺のご住職、ネルケ無方さまからご感想のメールを頂きました。 御本人からブログに転載しても構わないとの許可を頂きましたのでシェアさせていただきます。 ネルケ無方さんは、ドイツ生まれのご住職さんです。…
○今朝、久しぶりに山城むつみ『ドストエフスキー』の『罪と罰』の章を読んだけど、やっぱりすごい!
「愛ゆえに、相手を殺すという形の愛」があり得るということ。これは信仰論としても物凄いと思う。
『氷点』三浦綾子
誰しもが心に悪意を持ち、行いに移してしまった。「清い人間」である陽子は、自らの命を滅ぼす結果に至る。救いのない醜いこの世。キリスト者だからこそ描ける絶望ではないか。
絶望感への陶酔がない。客観的な絶望のようなもの。
『それでも女をやっていく』ひらりさ
著者の半生の自己吟味を通して、
1人の女性の人生に触れる。
呪いを解くために、生きようと自力でもがく姿。
厳しい自己吟味で綴られる文章自体に、
フェミニストとして生きようとする、真剣で真正面の魂を感じた。
三浦綾子『氷点』8割くらい読んだ。
ドラマチックな場面が訪れるも、
波が引くように去って年月が過ぎ、
また波が訪れるように、
ゆっくり時間をかけて変化していく愛憎。
毎日一緒に暮らし続けている家族を描くからこそ、こうした緩急になるのだろう。
ドストエフスキー的な、
三浦綾子の『氷点』下巻を読む。
不信と疑い、じめじめとした暗さ日常的に続く世界観。先が見えないジメジメ感。
高橋たか子の小説を思い出した。
お互いが日常的に疑い合っていて、その疑い合いによって、バランスが取れている。
ドストエフスキーや高橋和巳など、

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