キリスト教入門記[3]私は主役ではなく神の道具・器。神の愛を感じなくとも、信じて主のもとへ何度も立ち返る。
自分は主役ではなく、神の道具。神の愛を感じなくても、主のもとへ何度でも帰る。 最近気づいたこと。いまのぼくにとっての「偶像崇拝」(神以外のものを崇めること)は、人からの賞賛であり、自分が他の人よりも優れた面を持つという優…
内村鑑三『復活と来世』より
「私たちに今復活の奇跡が行なわれないのは、今は復活の時ではないからである。またこの朽ちるべき肉体の復活は永久の救済ではないからである。
神はより大きな復活を私たちのために備えられたのである。
学童の子どもたちの
成長の記録を書いている。
その子にとって
こちらが良いと思うきっかけを
忍耐強く与え続ける
その予想が当たって
タイミングもバッチリあった時にら
その子が成長したように見える
それを大人サイドでこっそり喜ぶ。
そんな感じで良いんだろうなと思う。
忍耐と謙虚さが大切
『奴隷的意志』マルティン・ルター
「いまひとつには、信仰とは、まだ見ていないことの確信である[ヘブライ11:1]。
だから、信仰の場があるために、信じられることがすべてかくされていることが必要である。
観察、感覚、経験とは反対のもののもとにかくされる以上の深いかくし方はない。
体調不良で3週間ぶりのMTG。
やっぱり時間が空くと、
何か指摘される気がしてしまい緊張感があった。
でも無事に終わった!
(月)は腹痛しながら遠足の引率
(火)も体調イマイチだったけど、
今日は朝から学童パートで、
ひと山超えたぞー。
とりあえず、
お風呂でルターを読んでリフレッシュだ
この投稿を読んでいて考えさせられたこと
そこには「許されない」という感覚の中で、自分も世界も肯定できず、日常そのものを拒絶してしまう人間の姿があるように思う
この背景には、罪責や断絶のような感覚があって、それが日常をそのまま受け入れることを難しくしているのかもしれない

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