人はなぜ宗教を求めるのか④神さま!カミサマ!俺にはどうにもなんねぇ!助けてけろ!
矛盾する想いを混在させるカオスとしての人間が、永遠絶対の神によりたのむこと 人はなぜ宗教を求めるのか。第四弾です。 今回は、矛盾もするし心も変わる、なんの足場も、枕するところもない人間が、永遠不変の神を求めていく道すじを…
三浦綾子『氷点』8割くらい読んだ。
ドラマチックな場面が訪れるも、
波が引くように去って年月が過ぎ、
また波が訪れるように、
ゆっくり時間をかけて変化していく愛憎。
毎日一緒に暮らし続けている家族を描くからこそ、こうした緩急になるのだろう。
ドストエフスキー的な、
三浦綾子の『氷点』下巻を読む。
不信と疑い、じめじめとした暗さ日常的に続く世界観。先が見えないジメジメ感。
高橋たか子の小説を思い出した。
お互いが日常的に疑い合っていて、その疑い合いによって、バランスが取れている。
ドストエフスキーや高橋和巳など、
去年の10月頃から、
晩飯と次の日の弁当はほとんど毎日
私が担当して作っているが、
今日は娘用に細かく切ったほうれん草を冷凍するなど、
娘のストックにも手を広げ始めた。
人間、良いことも悪いことも、慣れである
慣れてくれば、
習慣としての回路ができて、
今日はどうしようかと自然に考える。
ドストエフスキー小説は、強烈な自意識と、それを裏切る無意識が登場人物の中で激しく矛盾している。
だから、「どう読むか」が本当に多様になるのだと思う。
家庭では私が外交担当のため、
珍しく妻が他者と関わるときは、
「この前、大根もらってる」
「この前、ミッフィーのマグもらった」など、
頂き物を耳打ちして感謝の意を示してもらうのだが、
その度に「秘書が政治家に囁く映画のシーン」が脳裏に浮かんでしまう。

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