宗教的安心・救いとは。自力と他力、八木誠一。my読書[3]
最近はキリスト教、イエス関連の本をあっちこっちと読んでいました。というのも、3年間続けている臨済禅の修行をこれからも続けて行こうかどうか、悩んでいるからです。 ぼくが得たいのは安心です。それがぼくの求める「救い」でありま…
ニーチェのペシミズムについて。
「健康な人間にとり、世界が無意味であり生存が苦痛に満ちたものであるという事態は、悦ばしい仮説、欲求の対象であり、真理ではありません。
○「感情を味わうために生きる」ことを止めるテーラーワーダ仏教。
・喜びの感情や期待によって、嫌なことを乗り越えようと、私は毎日頑張っている。
・ショーペンハウアー的な厭世主義、脱俗的な生。ニーチェの批判と大乗仏教の繋がり
「自己を恥じること」
そこから、本当の向上心と力、謙虚さが湧き出してくる。
「人、以て恥無かるべからず。恥無きを之れ恥づれば、恥無し。」
「人は、恥を知らない人間であってはならない。自分に恥じる心がないことを恥じることができれば、もはや恥ずべき人間ではなくなる」(孟子)
○安岡正篤、『禅と陽明学』
・安岡正篤の言葉をどこまで信用できるのかは、未だ検討中であるが、下記の視点は非常に大切だと感じた。
・小乗仏教を経てからの大乗仏教でなければ、ただの軽薄な現世肯定にすぎなくなる。大乗仏教なしの小乗仏教も、同じく良くない。

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