自分(たち)だけを慰める宗教へ。キリスト者の理想。カール・ラーナー
宗教は(もっと言えばあらゆる文化は)人をより切実に、より真剣に現実の真っ只中へと向かわせるものであって欲しいと、ぼくは思います。宗教は現実逃避の手段であってはならないし,一時の気休めであってはいけないと思います。 しかし…
「善い趣味でも、悪い趣味でもない。私の趣味なのだ。それを私は恥ずかしいとは思わないし、もはや隠し立てもしない。
『これは──私の道だ。──君たちの道はどこにあるのか』。『道とは?』と私に尋ねた人に、私はこう答えた。なぜなら、道そのものなど、どこにもないからだ。」
今日の昼12時ごろに、
スペースやりたいと思います。
もしおしゃべりしたい方いましたら
時間も調整可能なので
DM等くださいませ!
子どもが生まれる前は
効率化の仕事術や休息術やら
色々読み漁って
試行錯誤の毎日だったけど、
子どもが生まれてからはもう、
ただひたすらに根性と体力と早起きである。
効率なんて設計する余裕はない。
ランニングする余裕もないから
ダンベルとスクワット、
そして子どもとのダンスあるのみ。
ニーチェのペシミズムについて。
「健康な人間にとり、世界が無意味であり生存が苦痛に満ちたものであるという事態は、悦ばしい仮説、欲求の対象であり、真理ではありません。
○「感情を味わうために生きる」ことを止めるテーラーワーダ仏教。
・喜びの感情や期待によって、嫌なことを乗り越えようと、私は毎日頑張っている。
・ショーペンハウアー的な厭世主義、脱俗的な生。ニーチェの批判と大乗仏教の繋がり

気軽にコメントください。(メルアド不要でコメント可能です)