信仰とは③思想ではなく、実践の積み重ねである。
「信仰とは」シリーズ、第三弾です。 今回はカール・ヒルティの『幸福論』を中心に「信仰とは何か」を考えてみます。 本書は、まさに「生活者」のための信仰書、という気がします。 日々様々に降りかかる出来事の真っ只中で、それでも…
キリスト教
2020.07.26 ばさばさ
「信仰とは」シリーズ、第三弾です。 今回はカール・ヒルティの『幸福論』を中心に「信仰とは何か」を考えてみます。 本書は、まさに「生活者」のための信仰書、という気がします。 日々様々に降りかかる出来事の真っ只中で、それでも…
キリスト教
2020.07.04 ばさばさ
今回は「信仰なんて…」と、とりあえず斜めに見てしまう人に向けて、「信仰とは一体なにか」哲学的な著作からご紹介し、 信仰はただの盲信なく、真剣で誠実で勇気ある営みであることをすこしでも伝えられたらと思います。 信仰と真理・…
哲学書
2020.05.07 ばさばさ
このブログにしても、「生きねば活動」にしても、ぼくは「何か本当に価値あることのために生きたい」と、頭の片隅で考えてはいる。 しかし、頭の隅でそうは考えても、その実践となると困難である。 「人のためを思って」何か行動したつ…
私の罪を許すために
十字架にまでかかったお方である。
その愛を信じるところにおいて、
神に委ねたいと思い、
それでも手放せない自己を、
なんとか委ねたい、
キリストによって生きたいと願い、祈るのである。
「倫理的理想という如きものはなお人間的である。
人間の理想に従って善悪を定むる事は絶対なる神の意志に従う事ではない。
自己の意志によって神の力を忖度する事となる。(中略)
真の救済においては道徳的善悪を捨てて神に帰するのでなければならぬ。」(『西田幾多郎講演集』より)
ストイックに生きようとすること、
自分をコントロールしようとすること、
倫理的・道徳的に生きようとすることは、
結局「こちらが良い」と自分で雑に判断して動くことに過ぎない。
自分で選択しているだけだ。
だから、自然なエネルギーは圧殺されていく。
今日の子ども食堂は
私が全体の運営をせねばならぬから
今朝は久しぶりに早起きして
仕事に勤しんだ。
未明の仕事の達成感よ。
人間、
ときには強制的に
頑張らされねばならぬと思った。
執筆中の小説の主人公の女性が
シモーヌ・ヴェイユへの傾倒を見せているため、
ヴェイユの思想を読んでいるが、
ヴェイユがこんなに既存のキリスト教と袂をわかっているとは思わなかった。
エックハルト,そしてカミュにさえ近いものを感じる。
そしてどこまでもラディカルで、…
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