マザー・テレサ

キリスト教

キリスト教入門記[3]私は主役ではなく神の道具・器。神の愛を感じなくとも、信じて主のもとへ何度も立ち返る。

自分は主役ではなく、神の道具。神の愛を感じなくても、主のもとへ何度でも帰る。 最近気づいたこと。いまのぼくにとっての「偶像崇拝」(神以外のものを崇めること)は、人からの賞賛であり、自分が他の人よりも優れた面を持つという優…