自分(たち)だけを慰める宗教へ。キリスト者の理想。カール・ラーナー
宗教は(もっと言えばあらゆる文化は)人をより切実に、より真剣に現実の真っ只中へと向かわせるものであって欲しいと、ぼくは思います。宗教は現実逃避の手段であってはならないし,一時の気休めであってはいけないと思います。 しかし…
・私は恵みからではなく、憧れから入った。
ケンピスの『キリストに倣う』や
ロザリオの祈り、エックハルトの神秘主義など、「その世界が見たい」から,自力で近づいていく。
信仰ではなく,信心業。
パレスビー『祈りの世界』のように、神様とおしゃべりが「したい」…
新教皇レオ14世の理解に不可欠な教皇レオ13世について拙著で彼の社会回勅「レールムノバールム」を日本語で読めます。#新教皇
神秘主義が「汝」を飲み込んでしまう危険性についてのブーバーの言葉。
私は禅の見性体験を思い出す。
私というエゴの摩擦がゼロに近くなった世界は、
圧倒的な生命の世界であった。
花も草木も、すべてが輝いて見えた。
草木が「汝」を回復した世界と言えるのかも知れぬ。…
気軽にコメントくださいませ。励みになります!(メルアド不要です。)