信仰とは①自分の幸せへと自分を賭けた決断。
なぜ神を信じるのか?神は本当に存在し、世界を創造したのか?イエスの復活を「本当に」信じるのか?・・・etc。 信仰に対しては、誰もが様々な問いをぶつけたくなることでしょう。 果たして、信仰はこうした問いに答えられなくては…
○今朝、久しぶりに山城むつみ『ドストエフスキー』の『罪と罰』の章を読んだけど、やっぱりすごい!
「愛ゆえに、相手を殺すという形の愛」があり得るということ。これは信仰論としても物凄いと思う。
『氷点』三浦綾子
誰しもが心に悪意を持ち、行いに移してしまった。「清い人間」である陽子は、自らの命を滅ぼす結果に至る。救いのない醜いこの世。キリスト者だからこそ描ける絶望ではないか。
絶望感への陶酔がない。客観的な絶望のようなもの。
『それでも女をやっていく』ひらりさ
著者の半生の自己吟味を通して、
1人の女性の人生に触れる。
呪いを解くために、生きようと自力でもがく姿。
厳しい自己吟味で綴られる文章自体に、
フェミニストとして生きようとする、真剣で真正面の魂を感じた。
三浦綾子『氷点』8割くらい読んだ。
ドラマチックな場面が訪れるも、
波が引くように去って年月が過ぎ、
また波が訪れるように、
ゆっくり時間をかけて変化していく愛憎。
毎日一緒に暮らし続けている家族を描くからこそ、こうした緩急になるのだろう。
ドストエフスキー的な、
三浦綾子の『氷点』下巻を読む。
不信と疑い、じめじめとした暗さ日常的に続く世界観。先が見えないジメジメ感。
高橋たか子の小説を思い出した。
お互いが日常的に疑い合っていて、その疑い合いによって、バランスが取れている。
ドストエフスキーや高橋和巳など、

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