西田幾多郎の宗教哲学②ネルケ無方様(安泰寺)「why(なぜ生きるか,生きる意味)を徹底してこそのhow(いかに生きるか)」
西田幾多郎の記事に、安泰寺のご住職、ネルケ無方さまからご感想のメールを頂きました。 御本人からブログに転載しても構わないとの許可を頂きましたのでシェアさせていただきます。 ネルケ無方さんは、ドイツ生まれのご住職さんです。…
ドストエフスキー小説は、強烈な自意識と、それを裏切る無意識が登場人物の中で激しく矛盾している。
だから、「どう読むか」が本当に多様になるのだと思う。
家庭では私が外交担当のため、
珍しく妻が他者と関わるときは、
「この前、大根もらってる」
「この前、ミッフィーのマグもらった」など、
頂き物を耳打ちして感謝の意を示してもらうのだが、
その度に「秘書が政治家に囁く映画のシーン」が脳裏に浮かんでしまう。
年末年始は
ママとずっと一緒にいたからか、
初めて娘が
「ママ!ママの(スリッパ)!ママの(ベット)!」と
ママ不在のさみしさを表現していた。
小説執筆は「要約」を広げるという方向。
要約的、イデア的にイメージの中既にあるものを
徹底的に広げて、文章として表現していく。
『辻原登の「カラマーゾフ」新論』よりまとめ
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だから小説は、要約すると意味がなくなる。
そして小説をよむ面白さは、

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