信仰とは③思想ではなく、実践の積み重ねである。
「信仰とは」シリーズ、第三弾です。 今回はカール・ヒルティの『幸福論』を中心に「信仰とは何か」を考えてみます。 本書は、まさに「生活者」のための信仰書、という気がします。 日々様々に降りかかる出来事の真っ只中で、それでも…
キリスト教
2020.07.26 ばさばさ
「信仰とは」シリーズ、第三弾です。 今回はカール・ヒルティの『幸福論』を中心に「信仰とは何か」を考えてみます。 本書は、まさに「生活者」のための信仰書、という気がします。 日々様々に降りかかる出来事の真っ只中で、それでも…
キリスト教
2020.07.04 ばさばさ
今回は「信仰なんて…」と、とりあえず斜めに見てしまう人に向けて、「信仰とは一体なにか」哲学的な著作からご紹介し、 信仰はただの盲信なく、真剣で誠実で勇気ある営みであることをすこしでも伝えられたらと思います。 信仰と真理・…
哲学書
2020.05.07 ばさばさ
このブログにしても、「生きねば活動」にしても、ぼくは「何か本当に価値あることのために生きたい」と、頭の片隅で考えてはいる。 しかし、頭の隅でそうは考えても、その実践となると困難である。 「人のためを思って」何か行動したつ…
「本気で遊ぶ」とは、「没落・敗北」をかけて戦うということ。
ニーチェの「超人思想」は「遊び」として受け取られる時にのみ、生きねばの役に立つ。
1つの「趣味」として、私は私の戦いに打って出る。しかしその「趣味」を本気で探求する。
生きねば哲学の根本構造は、
「本気の遊び」を生きるということ。
人は「目標」を持たねば、生きがいを持って生きられない。
「生きねば」できない。
しかし「目標」に執着して焦り、死ぬほどに悩むのが人間だ。
だから目標を「遊び」として、しかし本気で求めていくこと。
ツァラトゥストラをなぜ読むのか。
それはルサンチマンを置き去りにするため。
社会への呪い、嘆き、
社会批評などもうやめて、
社会などもう「通り過ぎ」て、
脇目も振らずに我が道を歩くため。
永遠回帰を受け止めることも、
そのための試練である。
一切が無限に繰り返されるとしても、
今日の20:15ごろから、
東京から埼玉へ戻るので、
お暇な方いたら、
通話で話聞かせてください〜
DM待ってます!
娘が我が実家に一泊2日する。初めて。
まぁそれは良いとして、
両親はいま何を求めていて、
何に不満を感じているのか
ここをじっくり聞き取る機会にしたい。
一方的なアドバイスほど、
お互いにとって無意味なものはない。
まず相手を理解すること。
そこで初めて,次のステップが始まる。
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