信じて
信じて生きればいい
ただ信じて 生きればいい
他には何も知らなくていい
光なんて 見えなくっていい
希望なんて なくたっていい
信じていれば 生きられる
信じていれば
ぼくたちは
信じるってなに
どうやったら 信じられるの?
わからない わからない
知らない 見たことがない
あいつを信じるな
あんなの嘘っぱちだ
あやしい 絶対に裏がある
証拠を見せろ
証明してみせろ
そう言って過ごしてきた
ぼくたちは
そんな世界で
生きてきた
トカトンとかとん
金づちで
釘を打つ音がきこえてくる
それは一心で
なんにも疑っていやしない
堅い かたい 信仰だ
打たれる釘は
一振りごとに
深く ふかく
食い込んでゆく
あのとき
あのとき 風が吹いて
森の木々を ずっと遠くの方まで揺らして
向こうへ行ってしまった
あのとき
ぼくは立ち止まらず
すぐ
去ってしまった
あのときはもう
二度とおとずれない…
ちゃんと生きなくちゃならない
すべてを
まっさらなこころに
映さなくては
生きていたとは
いえないだろう
彼女がすきだ
もうなにも 言いたくない
できれば口を開かずに
ただ 暮らしていたい
言葉をかさねれば
かさねるほどに
人と人との心の溝に
人と人とを隔てる淵に
ぼくは
痛めつけられる
だからぼくは
なにもきかない
彼女がすきだ
いつも眠っている
彼女がすきだ
静かにしずかに続いていく
その寝息が
この夜をひきのばして
ぼくをゆるしてくれる
そうじゃないんです
ちがうんです
そうじゃないんです
そう否定する 気力もないから
ぼくは黙ってしまう
詩を書き 小説を創る気力はある
そればかりある
だからと言って
小説も 詩も
ぼくじゃないのだが。
ぼくなんて この世には
必要ないのだ
そんな生き方は
さみしいけれど せつないけれど
正しいのだと 信じている
神さま そうやってぼくを
みちびいてください
正しい孤独に
耐え抜くように
だからぼくは
ひとりで 泣いているのです
ぼくのなかで
みんなが
泣いているのです
にせものの孤独などないけれど、正しい孤独はあるとおもう。
それに少しだけなじんできているけれど、やっぱり涙は出ます。哀しささみしさを感じるより先に反射のように出るようです。
わたしも「みんな」の中の一人なのか、別のところで泣いているのか、わからないですが、同じ何かがあるように感じました。
「わたしは理解も誤解もされたくないの!」と言って身をひるがえして走り去った女の子がいました。
「そうじゃないんです」は、もっとしずかで諦めも知る人から出た言葉だなと思います。
veronicaさん
孤独に涙するんですね。
この世で一番うつくしい涙ですね。
ぼくは孤独に涙したことはないです。
ぼくの孤独にはきっとたくさんの逃げ場があるので、
そちらに逃げていくのだと思います。
きっと孤独で、それでも逃げ場がなくって、
どうしようもないから、涙が出てくるのでしょうね。
こころは泣いていても
身体は空しいこの世を追うから、
ぼくは身体が泣くことはないのかもしれないです。
身体的にも涙するとき、ぼくはこころの底の孤独と
きちんと一致することができるのかもしれません。
いつかそんな時がきたら良いなと思います。
「わたしは理解も誤解もされたくないの!」と言って身をひるがえして走り去った女の子
すてきですね。
ぼくは小説や詩という形で発散するだけです。
「諦めも知る人」というよりは、もとからですね。笑
もとから、自分の意見は言えない人でした。
内に秘めて、もんもんとするだけの人です。
(文章ではいくらでも言いたい放題です。
だからぼくにとっては文章が癒やしになるんでしょう。)
海野つばさ 拝
心が孤独であるとは、トートロジーのようなものですから、泣くのはおかしいのです。そうか空間を占めるこの身体が泣いてるのか、など思いました。
また別のことを言うようですが、心は孤独ではないのかも?と感じた時も、涙がでました。これは…涙もろいだけですね(笑)
発散、いいたい放題、というのは偽悪的な表現ですが、まさにそのような類の力を感じます。他の投稿からもです。
それが出来る、しかもバラバラのかけらを投げるようにではなく、読み手ごとに何か得難いものを与えてくれる言葉の連なりを生み出すように出来るのですから、すばらしいです。