キリスト教入門記[2]自由意志への信頼と内輪争いのしょぼさ
クリスチャンの内輪争いのショボさ。人を信頼して自由意志を与えてくださっている神。 もう2ヶ月くらい近くのカトリック教会の入門講座、聖書講座に参加させて頂いている。神父サマの考え方とぼくはとても相性が良い気がしていて、いつ…
2019.03.16 ばさばさ
クリスチャンの内輪争いのショボさ。人を信頼して自由意志を与えてくださっている神。 もう2ヶ月くらい近くのカトリック教会の入門講座、聖書講座に参加させて頂いている。神父サマの考え方とぼくはとても相性が良い気がしていて、いつ…
2019.01.01 ばさばさ
「自分の苦しみと苦悩を、神に語りかけることができる」 キリスト教、すてきだなぁと思うところはたくさんありますが、 今回は「自分の苦悩を語りかける相手がいること」に注目してみます。 生きる苦しみ・悩みが自分独りだけのもので…
・私は恵みからではなく、憧れから入った。
ケンピスの『キリストに倣う』や
ロザリオの祈り、エックハルトの神秘主義など、「その世界が見たい」から,自力で近づいていく。
信仰ではなく,信心業。
パレスビー『祈りの世界』のように、神様とおしゃべりが「したい」…
新教皇レオ14世の理解に不可欠な教皇レオ13世について拙著で彼の社会回勅「レールムノバールム」を日本語で読めます。#新教皇
神秘主義が「汝」を飲み込んでしまう危険性についてのブーバーの言葉。
私は禅の見性体験を思い出す。
私というエゴの摩擦がゼロに近くなった世界は、
圧倒的な生命の世界であった。
花も草木も、すべてが輝いて見えた。
草木が「汝」を回復した世界と言えるのかも知れぬ。…
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