人はなぜ宗教を求めるのか②改善不能な自己への絶望
前回は「自己への不信・自意識の闇」に留まることに耐えきれずに宗教を求める、という流れになんとか強引にまとめきりました。 けれども、ぼく自身のなかで「宗教を求める」という気持ちは決して整理されているわけではありません。生物…
前回は「自己への不信・自意識の闇」に留まることに耐えきれずに宗教を求める、という流れになんとか強引にまとめきりました。 けれども、ぼく自身のなかで「宗教を求める」という気持ちは決して整理されているわけではありません。生物…
「人はなぜ宗教を求めるのか」何度も問われ、答えられてきた問いに、ぼくも応えてみたいと思います。 ぼくは何か特定の「宗教・宗派・ドグマ」にどっぷり浸かっているわけではありませんし、絶対的・宗教的な「安心」を手にしているわけ…
新約聖書学者にして徹底的に辛辣に、観念的な領域に留まってしまう宗教へ問題を提起した田川建三をご存知でしょうか。 日本全国に出回っている「新共同訳」という聖書、およびキリスト教をストレートに批判しつつ、個人で新約聖書すべて…
最近はキリスト教、イエス関連の本をあっちこっちと読んでいました。というのも、3年間続けている臨済禅の修行をこれからも続けて行こうかどうか、悩んでいるからです。 ぼくが得たいのは安心です。それがぼくの求める「救い」でありま…
夏目漱石が用いた小説テクニックを学ぼうという、実用的な本(物書き限定ですが)を読んでいましたら、「言葉の排他性」についてのうまい説明がありました。それを読んで、「沈黙の受容性」と言えるような発想が湧いてきましたので、その…
「my読書」ということで、無理に1テーマにまとめることはせずに、読んで感じたことを書き残していきます。 ここのとこ、ぼくが一日一生の基礎を置いているところの、禅の道に動揺をきたすゴタゴタがありました。そのため生の基礎をち…
ニーチェの『ツァラトゥストラ』は、現実を生きようと悪戦苦闘する者たちの尻を叩いてくれる。 ニーチェもツァラトゥストラに自分の尻を叩いてもらっていたのだろう。 今回は、ニーチェの「学者」(現実を傍観する人たち)批判を紹介す…
人はサルにも超人にもなれる。(ツァラトゥストラ) わたしはきみたちに超人を教える。人間は、超克されるべきところの、何ものかである。きみたちは、人間を超克するために、何をなしたか。(中略) きみたちは虫から人間への道程を成…
本記事は、「生きる意味」という曖昧模糊とした言葉を強引に使って、「生きる意味を求める人」を5類型してみた記事です。考えるきっかけにして頂けたらと思います。 まず、Aタイプの人「生きることを楽しんでいる人」が…
気軽にコメントくださいませ。励みになります!(メルアド不要です。)