キリスト教入門記[5]闇の底に降りてこられる神
いつか手帳に記した絶望的なメモから、絶望に差し込む光としての神・信仰を描いてみました。 「あいづち兄さん」や「生きねば活動」をやっている身ではあれ、ぼく自身も思い悩んでばかりです。 でも、日々自分自身の心の闇に触れるから…
寝坊した。
夜のアウトプットは、
頭が冴えて
寝れなくなっちゃうな。
とにかく座禅じゃ。
この人類の歴史において
誰も真理を知らない。
誰も正解を知らないということの
無限の可能性と喜びに思いを馳せる。
正解はない。
しかし、問いを立て、
それを探求することはできる。
哲学者たちは
答えを導き出せなかったが、
自分の問いを、問い続けたのだ。
数年振りに、
ブログ記事で考察したい気持ちが湧いてきた。
ニーチェについてである。
頭の中にストックできないレベルになったので
ブログ記事として記録しておく必要があるし、
書くことを通して整理したいのだ。
動画で喋ろうとか思ってたけど、
口頭で手に負える問題じゃなくなってきた。
今日も眠れずニーチェの森を散策。
永井均の『ルサンチマンの哲学』『これがニーチェだ』にたどり着いたが、
永井均はやっぱり面白いな。
そして表現力が凄まじい。
自分の言葉で、すごい密度で
明快に語ってくれる。
毒を吐き続けることで、
常に永井均自身の理解と、
当該の哲学者とのギャップを

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