キリスト教入門記[5]闇の底に降りてこられる神
いつか手帳に記した絶望的なメモから、絶望に差し込む光としての神・信仰を描いてみました。 「あいづち兄さん」や「生きねば活動」をやっている身ではあれ、ぼく自身も思い悩んでばかりです。 でも、日々自分自身の心の闇に触れるから…
三浦綾子『氷点』8割くらい読んだ。
ドラマチックな場面が訪れるも、
波が引くように去って年月が過ぎ、
また波が訪れるように、
ゆっくり時間をかけて変化していく愛憎。
毎日一緒に暮らし続けている家族を描くからこそ、こうした緩急になるのだろう。
ドストエフスキー的な、
三浦綾子の『氷点』下巻を読む。
不信と疑い、じめじめとした暗さ日常的に続く世界観。先が見えないジメジメ感。
高橋たか子の小説を思い出した。
お互いが日常的に疑い合っていて、その疑い合いによって、バランスが取れている。
ドストエフスキーや高橋和巳など、
去年の10月頃から、
晩飯と次の日の弁当はほとんど毎日
私が担当して作っているが、
今日は娘用に細かく切ったほうれん草を冷凍するなど、
娘のストックにも手を広げ始めた。
人間、良いことも悪いことも、慣れである
慣れてくれば、
習慣としての回路ができて、
今日はどうしようかと自然に考える。
ドストエフスキー小説は、強烈な自意識と、それを裏切る無意識が登場人物の中で激しく矛盾している。
だから、「どう読むか」が本当に多様になるのだと思う。
家庭では私が外交担当のため、
珍しく妻が他者と関わるときは、
「この前、大根もらってる」
「この前、ミッフィーのマグもらった」など、
頂き物を耳打ちして感謝の意を示してもらうのだが、
その度に「秘書が政治家に囁く映画のシーン」が脳裏に浮かんでしまう。

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