天國は勞動人を葡萄園に雇ふために、朝早く出でたる主人のごとし。 20:2一日一デナリの約束をなして、勞動人どもを葡萄園に遣す。20:3また九時ごろ出でて市場に空しく立つ者どもを見て、 20:4「なんぢらも葡萄園に往け、相當のものを與へん」といへば、彼らも往く。 20:5十二時頃と三時頃とに復いでて前のごとくす。
20:6五時頃また出でしに、なほ立つ者どものあるを見ていふ「何ゆゑ終日ここに空しく立つか」
20:7かれら言ふ「たれも我らを雇はぬ故なり」主人いふ「なんぢらも葡萄園に往け」
20:8夕になりて葡萄園の主人その家司に言ふ「勞動人を呼びて、後の者より始め、先の者にまで賃銀をはらへ」
20:9かくて五時ごろに雇はれしもの來りて、おのおの一デナリを受く。 20:10先の者きたりて、多く受くるならんと思ひしに、之も亦おのおの一デナリを受く。 20:11受けしとき、家主にむかひ呟きて言ふ、
20:12「この後の者どもは僅に一時間はたらきたるに、汝は一日の勞と暑さとを忍びたる我らと均しく之を遇へり」
20:13主人こたへて其の一人に言ふ「友よ、我なんぢに不正をなさず、汝は我と一デナリの約束をせしにあらずや。 20:14己が物を取りて往け、この後の者に汝とひとしく與ふるは、我が意なり。
20:15わが物を我が意のままにするは可からずや、我よきが故に汝の目あしきか」 20:16かくのごとく後なる者は先に、先なる者は後になるべし』
1回目(2020.4/26)
「20:15わが物を我が意(こころ)のままにするは可からずや、我よきが故に汝の目あしきか」
全てが主が定め、すべてのものの内には、主が働いておられる。主のはからいです。
それならば、あの人、この人、どの人の生も、主が導いているのだから、私は余計に思い煩うことはない。
どんな人に、たとえどんなことがあろうとも、いつか、必ず、主がその人に、その人の道を示される。それはもしかすると、死後のことであるのかもしれない。私にはわからない。人間にはわからない。
その時、すなおに、謙遜に、正しいと感じる方をその人が選びさえすれば良い。そうだと、信じ切ること。
この世・この社会の全てが、主のはからいによって、私たちには計り知れない形で動いているのであれば、
私は、本当に、自分のなすべきことに集中して、イエス様を離れずにともにいて、なすべきことをなし、
「われらは無益なる僕なり、為すべき事を為したるのみ」(ルカ福音書17:10)と言うだけです。
主よ、この世界は、あなたがお働きになる、あなたの場所、あなたの世界、あなたのものです。
私はちいさなちいさな、僕にすぎないのです。そのことが少しわかった気がします。
この世界はあなたの場、私は小さな僕、あなたの道具の一つ。
この世界に働くあなたの業をただ見上げつつ、ささやかな協力をなして、生きるのみなのです。
私は自分一人が、大きな者だと、勘違いをし過ぎていました。思い煩うな、恐れるな、焦るな。
主よ、わたしに自分の卑小さを、もっともっと深く悟らせてください。
主にお任せすべきことと、自分が協力すべきこと。
特に、この地球の兄弟たちの、心の奥に働きかけることができるのは、主だけです。あとは、チカラを持った、この世を越えたコトバのみです。
「我よきが故に何時の目悪しきか」
あの人はずるい、私は損をしている、もっと報われ、世から評価さるべきだ、そう言う私は、御心を、神を非難するものです。
「無智の言詞(ことば)をもて道を暗からしむる此の者は誰ぞや」(ヨブ記38:2)
主よ、私が私の小さな務めに気づき、求められた務めを少しでもよく果たすことができるよう、お導きください。
私に、この世界を貫くあなたの全智に気づかせ、その前にひざまずかせてください。私を訪れてください。
己の愚、小ささを知ることのできない私に、あなたをお示しください。
私はあなたの救いにあずかるために創られ、派遣されているものであり、私がこの世を生きるのは、あなたより、永遠のいのちを譲り受けるためなのです。
二回目(2020.4/27)
20:1天國は勞動人を葡萄園に雇ふために、朝早く出でたる主人のごとし。
20:3また九時ごろ出でて市場に空しく立つ者どもを見て
20:6五時頃また出でしに、なほ立つ者どものあるを見ていふ「何ゆゑ終日ここに空しく立つか」
20:7かれら言ふ「たれも我らを雇はぬ故なり」主人いふ「なんぢらも葡萄園に往け」
働き人、私は主に呼ばれた働き人です。
あなたに呼ばれるまでは、自分で何をしたら良いのかもわからずに、「市場に空しく立って」いました。
しかし今や、仕事が与えられています。主を愛し、隣人・兄弟を愛することです。
これが私があなたから与えられた務めです。
この世の仕事とは全く別の次元で、務めるべく与えられた仕事です。
そうです、主よ、私はこの世の仕事と、神の子としての仕事とを、どれだけ履き違えているでしょう。
生きてゆくために必要な、生活の糧を得るための仕事も必要ですが、それよりも大切なのが御心を行なうという仕事です。
主よ!そうです!私は私なりに、この世で生きるためのこの世の働きをしつつ、地にて、この世にて御心を行なう、真の働きをなすのみなのです。
私なりに、です。私が呼ばれた時に、です。他の人びとが何時に呼ばれたか、どれだけの報酬を得るのかなぞは、私には関わりの無い問題です。あなたの計らいによります。
他の働きびとを横目に見て、文句を言う権利など私にはありません。
そして、父なる神、主なるイエスは、私たちに永遠のいのちをお約束しているのですから!それが真の宝です。あなたがお与えになる真の宝のため、この世の空しい宝は軽んじなければなりません。
マタイ福音書
「13:44天國は畑に隱れたる寶のごとし。人見出さば、之を隱しおきて、喜びゆき、有てる物をことごとく賣りて其の畑を買ふなり。
13:45また天國は良き眞珠を求むる商人のごとし。 13:46價たかき眞珠一つを見出さば、往きて有てる物をことごとく賣りて、之を買ふなり。」
主よ、私に聖霊を豊かに注いで、あなたより与えれられしこれらの知恵を、私が身をもって生きることが出来ますように。
父と子と聖霊の御名によって、アーメン
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