聖書黙想⑤『なんぢ若し神の子ならば、此處より己が身を下に投げよ。」(ルカ福音書4章1-13節)

4:1さてイエス聖靈にて滿ち、ヨルダン河より歸り、荒野にて四十日のあひだ御靈に導かれ、
4:2惡魔に試みられ給ふ。この間なにをも食はず、日數滿ちてのち餓ゑ給ひたれば、 4:3惡魔いふ『なんぢ若し神の子ならば、此の石に命じてパンと爲らしめよ』
4:4イエス答へたまふ『「人の生くるはパンのみに由るにあらず」と録されたり』4:5惡魔またイエスを携へのぼりて、瞬間に天下のもろもろの國を示して言ふ、 4:6『この凡ての權威と國々の榮華とを汝に與へん。我これを委ねられたれば、我が欲する者に與ふるなり。
4:7この故にもし我が前に拜せば、ことごとく汝の有となるべし』
4:8イエス答へて言ひたまふ『「主なる汝の神を拜し、ただ之にのみ事ふべし」と録されたり』4:9惡魔またイエスをエルサレムに連れゆき、宮の頂上に立たせて言ふ『なんぢ若し神の子ならば、此處より己が身を下に投げよ。 4:10それは「なんぢの爲に御使たちに命じて守らしめ給はん」
4:11「かれら手にて汝をささへ、その足を石に打當つる事なからしめん」と録されたるなり』
4:12イエス答へて言ひたまふ『「主なる汝の神を試むべからず」と云ひてあり』

4:13惡魔あらゆる嘗試を盡してのち、暫くイエスを離れたり。
4:14イエス御靈の能力をもてガリラヤに歸り給へば、その聲聞あまねく四方の地に弘る。 4:15かくて諸會堂にて教をなし、凡ての人に崇められ給ふ。
文語訳の聖書はこちらのサイトで全てテキスト化されています。ありがたいです⇩
http://bible.salterrae.net/taisho/html/

この地に踏みとどまって、為すべきことをなす。

「4:9惡魔またイエスをエルサレムに連れゆき、宮の頂上に立たせて言ふ
『なんぢ若し神の子ならば、此處より己が身を下に投げよ。」
主よ、悪魔の試みはなんと魅力的なものでしょうか。私はあなたへ向かって、いっそこの身を投げ出してしまいとの熱情を感じます。

御手に抱きかかえられ、御腕の内に永遠に憩いたい。この憂き世、憂き身を抜け出して、あなたの身許へ参りたい。
あるいはこの世における奇跡の勝利、この世におけるあなたの栄光。
しかし、私たちにキリスト者は、この世での勝利、栄光、報いを求める者ではあってはならない。主よ、そうあなたは仰るでしょう。

この世この身は、あなたがこの私にお与えになったものです。
この現実に踏みとどまって、まずそこでしっかりと生きよ。彼岸へと目を背けるな。
奇跡を、栄光を、勝利を、そこに求めるな。
心貧しく、いっしんに、そこでお前の為すべきことを為せ、そうあなたは仰るのだと思います。
甘えてばかりいるな、自分の足でもしっかりと立てよ、と。

悪魔の試みに対して、輝かしい勝利でもって応じられなかったイエス様の行いは、全く驚くべきことです。忍耐と、正義と、勇気と、賢明と…はかりしれません。

この世での務めに向かう。

主よ、私は現実へと向かいます。あなたに甘えてばかりいることなく。
私はあなたの子です。そしてしもべです。
よき子は自分の足で立ち、父親であるあなたに恩を返そうとします。親孝行です。
主よ、この世で働き出すために、自分のすべきことから逃げていた私をおゆるしください。おしかりくださり、感謝します。
私は子であり、しもべです。子として愛を受けました。わたしは子として、しもべとして、あなたが示した愛を行います。
始めます。この地での私の務めを果たします。
いつまでもお祈りください。ともにいてください。
父と子と聖霊の御名によって。アーメン

今回の学び

・忍耐を失って、奇跡の待望や感情的な責任放棄へと逃げないこと。
・主はこの現実・歴史の内でその御業を行った。主がこの世界を創り、私をそこに産み落とした。
・私に降りかかるすべてのことを、主から頂いたものとして謙遜に受け取り、力を尽くして活かし切る。
・この生は、ただ主のために使い切るだけである。私の感情、幸不幸にこだわるから、うまく使えずにいる。
・忍耐と、自分のなすべきことを見極める賢明さ。正義と勇気。

非信徒からみたキリスト教の魅力②究極的な愛のモデル、イエスと共に生きること。

2019年1月23日

聖書黙想④私は一人の働きびと(マタイ20章1-16節)

2018年4月27日

 

5:4我等この幕屋にありて重荷を負へる如くに歎く、之を脱がんとにあらで、此の上に著んことを欲すればなり。これ死ぬべき者の生命に呑まれん爲なり。
5:5我らを此の事に適ふものとなし、その證として御靈を賜ひし者は神なり。
5:6この故に我らは常に心強し、かつ身に居るうちは主より離れ居るを知る、 5:7見ゆる所によらず、信仰によりて歩めばなり。
5:8斯く心強し、願ふところは寧ろ身を離れて主と偕に居らんことなり。
5:9然れば身に居るも身を離るるも、ただ御心に適はんことを力む。
5:10我等はみな必ずキリストの審判の座の前にあらはれ、善にもあれ惡にもあれ、各人その身になしたる事に隨ひて報を受くべければなり。(第2コリント人への手紙)

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20代。早稲田大学を卒業。大学時代に生きることに悩み、哲学書・宗教書・文学書を読み漁った結果、頭だけで考えても仕方ないと悟り、臨済禅の坐禅道場で参禅修行を始める(4年間修行)。 2020年に(カトリック)教会で洗礼を受ける。 路上お悩み相談(コロナ禍によりお休み中)や、SKYPE相談・雑談、コーチング、生きねば研究室など、一対一の本音で対等な関わりを大切に、自分にできることをほそぼそとやっています。