この記事はぼく、ばさばさが書いた記事ではなく「だいちさん」のご厚意で書いて頂いたものです!
このだいちさんの人生記は、厳しい環境・生の歩みの内で、生きることについて真摯に問い続けておられることを感じられる、とても刺激的な文章だと思います。
紛れもないこの現実を、目の前の一日一日を生きながら、自分の問いを真摯に追い求め続けることは容易なことではありません。
しかしそうした道なき道を、他ならなぬこの私が、自分の足で一歩ずつ歩んでこそ、「本当の納得」あるいは「ずっしりと重みのある生」が歩まれるのではないかと思います。
口だけ、頭だけではなく、「だいちさん自身の人生」を確かに歩まれたことが感じられるこの文章を読み、ぼくはとても勇気づけられました。たしかな手応えで、背中を押される気がしました。
きっと、みなさんにとってもありがたい刺激になると期待しております。
だいちさん、ありがとうございました。
【ばさばさ生きねば研究室】たくさんの人のリアルな、ありのままの人生に触れられるブログになったら良いなと思うので、みなさまからのご寄稿も大募集中です。
素直に、迷いも絶望も含めてありのままに書いて頂ければ、形式は全くの自由です。
人生経験と絡めずに、思想の遍歴でも、断章でも、小説的なものでも、とりあえずなんでも構いません。SKYPE通話等でご相談頂けると嬉しいです!ぜひ!
この文章の経緯
はじめまして、だいちと言います。
つばささんとお話ししたことがきっかけとなり、今回ブログに文章を載せさせていただくことになりました。
最初は、いつものように生きることの意味に悩んでネットで検索をかけていて、たまたまつばささんのブログを見つけたのですが、
読んでいると共感できる内容も多く、また、語り口や、問題と向き合う姿勢がとても印象がよかったので、ぜひ話を聞いてもらいたいと思って声をかけさせてもらいました。
skypeでいろいろ話した後、自分の体験をブログで共有してみないかというお誘いをいただきました。
はじめは、自分に人が読むに値するような文章が書けるだろうか、とも思いましたが、つばささんの「ひとりの人間が悩み、迷っていることを素直に共有することができれば、それは誰かの役に立つと思う」という言葉に励まされ、自分のこれまでと、今の思いを振り返って、文章にしてみたいと思いました。
本当にこの自分語りの文章が誰かの役に立つかはわかりませんが、もしよければお付き合いください。
高校~東京大学入学
僕は現在30代前半で、障害者雇用で事務の仕事をしています。
先に、生きることの意味に悩んでいた、と書きましたが、僕は高校に入ったころあたりから、自分がしていることの意義や意味、価値といったものを考え詰める癖を持っていました。
高校1年のころから対人恐怖・社会不安のようなものに悩んでいて、それの反動のような面もあったかもしれません。
高校生活の中で対人不安は次第に悪化していき、ひどい時期は一日中クラスでひとこともしゃべらず、昼放課などは教室にいることができないので校舎の外で壁に石をぶつけている、という状態だったころもありました。
そのような中で受験勉強をするということの意味を人一倍考え、結局答えが出ないまま最後までがむしゃらに、自分いじめのような勉強をやり抜きました。
東京大学の理系学部に入学した後も、そのような傾向は続きました。
勉強のモチベーションがなくなってしまい、卓球部の活動ばかりに集中していました。
中学時代に全国大会の出場経験があったので、その経験が活きてレギュラーになりました。
しかし結局は再び、自分いじめのようなハードな練習を自分に課しながら、勝利や達成のそもそもの意味を問い続ける日々の繰り返しでした。
秋ごろ、不安発作を起こし、そこから2年間ほど大学を休学することになりました。
それまでは辛いことをがんばる理由を求め続けていましたが、このころ、生きること自体が辛いという思いを抱えると同時に、生きてゆくことの意味を問うようになりました。
それ以来今に至るまでに、病名は不安障害からうつ病、躁うつ病、発達障害、統合失調症などと変わっていきました。
死にたい気持ちの高まりから10回近く入退院を繰り返しました。
そのような中で生きる意味を問うということは、初めは、生きたいと思っている自分自身の背中を押すための理屈を考えることを意味していました。
しかし、休学中などに、読書を通していくらかの先哲の思想に触れたりする中で、その問いは、「生きるということのそもそもの意義」、「苦しい人生を生き、死んでいくことは結局のところなんなのか」といったことへの問いに変わっていきました。
大学に復学後は、文学部に転部して哲学のようなことをしていました。
そのころには、僕は、自分の問題が宗教的な問題であることを自覚していましたが、科学を学んできたからか、宗教の非合理的だと思われる部分を簡単に受け入れることができませんでした。
そして結局、自分の問題を解決するためには哲学に関わり続けるしかないと考えました。
しかし、僕はさほど本を読むということが得意ではなく、読書量も周囲に比べて非常に少なかったので、当時助教に「大学院に行きたい」と相談しても「お前では無理だ」と返され、その代わりに高校の教員になって自分の研究をしつつ身を立てる道を提案されました。
それで、そこから1年半かけて教職の単位をすべて取得し、大学卒業と同時に高校の教員になりました。
しかし、対人恐怖を抱えながら人前でプレゼンテーションをする仕事ができるはずもなく、結局2か月ほどで退職に追い込まれることになりました。
社会人の後、生きる意味を探しに大学院に入学・休学
その後、障害者雇用の事務の仕事を2年間しましたが、結局生きる意味の問いを捨てることができず、仕事を辞め、宗教学を学ぶために、ある大学院を受験しました。
当時は、生きることの意味を見い出すためなら他のあらゆるものを放棄する覚悟でした。
どうせ死ぬならば、生の意味を追究する道の途中で死にたい、そう思って、すべてを捨てる覚悟で引っ越し、入学試験を受けました。
しかし入学後、これまでの不勉強がたたったためか、研究環境に溶け込むことができない日々が続きました。
学問の形を取らないなまの問いは受け付けられず、共感もされず、むしろ中二病などとばかにされたり、ひどい言葉を投げかけられたり、軽蔑的な態度で接されました。
問いを追究できると考えてたどり着いた場所は、僕個人としてはもっともその実現から遠い場所でした。
結局半年で休学することになり、近くのデイケアに通いながら立て直しを図ることにしました。
また1年後に復学しましたが、すぐに入院に追い込まれ、再度休学することになりました。
それからまた1年間休学し、今に至ります。そろそろ休学の年限も近づいてきました。
昨年(2019年)の冬からは、僕は就労支援を兼ねた障害者雇用のような形のところで臨時職員として働きながら、自分自身の問題と折り合いをつけようとできる限りのことをしてきました。
上に書いた通り、もともと僕が大学院で宗教を学ぶことを志望したのは、僕自身の内面的な問題に取り組むためでした。
僕は当時それを生きる上でもっとも大事な問題だと考え、その解決のためならすべてを捨てる覚悟、命でも差し出す覚悟で出てきました。
精神障害を抱えながら、医療や福祉に支えられながら歩んできたほとんどの期間、僕は死(自殺)と向かい合わせの状態で、その間多くの苦境と危機を通り抜けてきたと思います。
そういった経緯を言い訳にすることはできないとは思いますが、今まで、その時々で可能な限りのことをしてきたつもりでも、結局大学院での研究環境に適応することはできませんでした。
現在の環境においては、症状は比較的落ち着いています。
また、問題との関係においても大きなこととして、近ごろ個人的に大事な人ができ、その人との関わりの中で直接的な生きがいを得ました。現在は転職活動をしており、もしかするとよい職が得られるかもしれません。
現実的なことがらと、生きる意味との間で
現在は、そういった日常の中での、現実的なことがらのうちに、根本的な問いに答えるよりも優先すべきことを見い出しています。
自分自身と、人や社会とのつながりに関しても以前より自覚的になり、自分を粗末にしないことの大事さも学びました。
また、経済的豊かさや楽しみ喜びも含め、そういったものの中に、守るべきだ、守りたいと思えるものも見い出せるようになってきました。
そういった身近なものを、今までの問いよりも優先したいということ、そのためには経済的糧や社会的地位も必要だということがあり、それは大学院では得難い以上、今回、ある程度納得して、退学して働く道を選ぶことができると思っています。
しかしもう一方で、そういった生活のすべてが根本的に間違っているのではないかという感覚も消すことができません。
大事にしたいものはあり大事にしようとは思うが、それらすべてが大きな矛盾や絶望的な倫理的問題をはらんでいるということ。
そうでなくとも、それらが結局のところなんなのかがわからず、最終的にはすべてが無意義なのではないかという思いも消えることがない。
そして、それにどうにかして取り組みたいという思いもなくなることはありません。
その思いは、生きることに真剣に向き合おうとすればするほど、非常に大きく、重要で、重い問題として立ち現れてきます。
しかし、それを大学という場に期待するのはもう間違っているように思います。
僕は、資質不足か、機会の欠如か、努力の不足か、そういったなんらかの理由、複合的ではあるでしょうが決定的な理由によって、結果的に学問の世界を自分の求道の道とすることができませんでした。
またそもそも、本を読むということの内に道を見い出すことすらできなかったように思います。
しかし、考えるということによってなんとか問題に取り組んでいきたいという思いもまだあります。
考えて知ろうとすることがそもそも間違っているのかもしれません。今あるもので満足できない自分の問題なのかもしれません。
ですが、現実・日常を捨てるわけにもいかず、その意義もわからない中で、その生死の意義への要求、執着や飢えと言ってもいいような感覚を消すこともできません。
悩みを共有し、ともに生きること
あえて、今できることはと言えば、同じような立場の人たちと悩み続けることなのではないかとも思っています。
同じようなものを抱えた人と、その悩み苦しみを共有しながら、共に生きること。
僕は、高校に入ったころから日記をつけていました。
それは近ごろまでずっと続けていて、引っ越し用段ボールが3箱一杯になるぐらいたまっています。
一時期はSNSやブログにもしていて、ここ5年の間で1000件近くの長々とした記事を書きました。
しかし、それは独白調の、受け手のことを考えない独りよがりな文章ばかりでした。
しかも、個人情報は伏せていたものの、次第に身近な人との関係についても書くようになってきて、結局、周囲に迷惑をかけるのはよくないと思ってすべて消してしまいました。
書かずにはいられない思いにまかせて書き続けていて、その中で人と考えを共有できないかと思ってもいましたが、自分の心理的な問題もあって、そのような結果は生めませんでした。
それは結局僕にとって、思索やその共有の実践としてはあまりよい形ではなかったように思います。
しかし、やはり僕は、なんらかの形でこの問題、この自分の中にある、ある種の要求と向き合い続けたい。
そしてそれを、難しいとは思うけれど、似たような思いを持った誰かとともにやっていきたい。
今はそんなことも考えています。
この文章では、ブログで反省したことをまたやっている面もあるかもしれません。ですが、僕の生きてきた足跡、悩んだ軌跡を少しでも共有することが、なにかのきっかけになるかもしれないとも思います。
さいわい、つばささんという似たような方が、先日悩みを聞いてくれて、僕は大きな励ましを得ました。
僕自身が今後どのような活動ができるかはわかりませんが、もしなにか思うところがあれば、下記のアドレス宛か、つばささん経由などで連絡を取ってくださっても構いません。
僕自身も余裕がない状態のときもあるのでいつも返信できるわけではないですが、もしメールくださる方がいたら、できるだけ対応したいと思います。
悩みを抱えた方たちが、少しでもよい方向に歩んで行けることを願っています。
だいち
mail: kanamedaichi@gmail.com
だいちさんが、現実的な事柄のうちに大切なこと守りたい存在を見出せるようになってきたことは、とても幸いだと感じます。それは、年を取り丸くなったとか根本的な問題がどうでもよくなった、という軽薄さではないと思います。
日々の些細な出来事一つのかけがえのない貴さと、この世すべてが抜き差しならない本質的な悪をはらんでいることとは、両立するのでしょう。
と書きながら、私は、書かれているような矛盾や倫理的問題、無意義性を解っていて、すでにだいちさんと共有しているなどとは思ってません。(鈍感で雑で楽天的なところが多分にあるので)
学問という限られた方法ではなく、対話によって、問題を共有し気づきを与え合い、今は見えていないところに光が当たればよいなと思います。
世の中には多くの、いきいきとした生の感覚を失い、闇の中にあるように生きにくさを抱えたまま生を延長している人たちがいますね。だいちさんによる言葉たちは、そのような人たちの助けになるに違いないです。
そのきっかけとなるこのような場を提供してくれるばさばささんにも、感謝です。
veronicaさん
お返事遅れてすいません。コメントありがとうございます。
そして、そのように言ってくださってありがとうございます。
確かに、自分にとって「根本的な問題」はそれはそれで存在し続けています。そのことに異を唱える人も多いですが、やはり、少なくとも僕にとってはそれは大きな問題ですし、少ないかもしれませんが、似たような人もいるのではないかとも思います。
それと同時に、日常の中に大事にしたいものもあるし、それは実際には今までも大事にしてきたものでもあります。
そのあたりの、「日常の中の大事なもの」と「根本的な問い」の関係や、「なぜその問いが問題になるのか」といったことは、近ごろも言葉にしながら、実感も踏まえてよく考えています。
そして近ごろは対話の相手にもある程度恵まれ、その人たちと共有しながら、問いを深めながらやっていけているようにも思います。
自分が生きづらさを抱えた人の助けになれるかはよくわからない面もあるし、まだ道の途上で悩んでいるひとりの小さな人間であるというのも確かかもしれません。
ですが、そのような支えのようなものを、もし仮に、誰か一人でも必要な人に届けられるなら、考えを発信する意味はあるのかもしれません。
人とは共有できる部分とできない部分があると思いますが、認め合えればよいなとも思います。