あの頃〈Ⅰ〉さきには何の希望もみえなかった

――何の希望もみえなかった大学生―――――

 

自分がこれから生きて行くらしい未来には、何の希望もみえなかった。
ゆめも、目標も、大切にしたいものも、なんにもなかった。
なにもみえないのに、生きるためには働かなくてはならない。くるしいことにも耐えなければならない。
そんなことだけが確かだったから、どうか時間がこれ以上進みませんように、週二日のアルバイトをしていれば済むこの環境が、少しでも長くつづきますようにと、それだけが願いだった。
希望がみえないだけじゃなくて、生きている日々になんのよろこびも感じなかったから、未来とは、ただのわかりきったみじめさに過ぎなかった。
それが日に日に迫ってくるなか、どうにかしようと本の頁をめくった。小説の世界に沈み、哲学の文章にかじりつき、くちびるで詩をよんだ。
どこに行くにもノートを抱え、今もこうしているように、自分の考えを書き、読み返し、また考え、書き、自分の生きる道を探し求めた。必死だった。
数少ない友人にきいてみても、みんな生きていくことにそれなりに納得しているようだった。この世に息抜きや楽しみの一つくらいは見つけているらしかった。
朝も昼も夜も、途方に暮れていた。
2,3日に一度は、こう考えたら生きてゆけるのかもしれない、と思いついても、次の日にみればその答えは自己陶酔に腐っていて、蝿がたかっていた。
顔にはそのぶん暗い影が差し込んだ。過ぎ越してゆく日々を振り返れば、期待と幻滅とが折り重なってくすんでいた。
講義の合間にipodで音楽を流しながら、早稲田の下町を歩き廻った。白いランニングシャツに半透明のビニール袋を下げて歩く年金生活者がうらやましかった。
神田川にきたねぇな、とつぶやいて、授業の時間がくれば教室に戻された。
一見自由気ままに見えて、どこへ行っても重い鎖をひきずっていた。
赤茶色に錆びれた鎖は、反吐が出る「社会」とやらにつながっていた。寝てもさめても、鎖のこすれるいやな音が耳の底を引っ掻いた。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

20代。早稲田大学を卒業。大学時代に生きることに悩み、哲学書・宗教書・文学書を読み漁った結果、頭だけで考えても仕方ないと悟り、臨済禅の坐禅道場で参禅修行を始める(4年間修行)。 2020年に(カトリック)教会で洗礼を受ける。 路上お悩み相談(コロナ禍によりお休み中)や、SKYPE相談・雑談、コーチング、生きねば研究室など、一対一の本音で対等な関わりを大切に、自分にできることをほそぼそとやっています。