少欲と知足。足るを知ること。【禅エッセイ】

禅エッセイについて
【禅エッセイ】の記事は、
禅の習慣化・生活化をサポートする禅コミュニティ
【おうち座禅オンラインサロン】に、ぼくが寄稿している文章を少しいじって、
ブログに載せているものです。
他の記事とはちがう、一般向けのライトな記事ですが、
何かの参考になれば嬉しいです。
有料ではありますが、コミュニティに興味のある方はご連絡ください~!
;

今回は、
澤木興道さんの『禅談』(ちくま学芸文庫)にある
「少欲と知足」という講話を参考に、

「少欲と知足(ちそく:足るを知る)」について考えてみたいと思います。

「私たちが悩み、苦しむ原因は、多欲にある」
澤木興道さんはそう言います。

この世の中を『苦の娑婆』だと言う。

一体、苦しむということはどこから来るかというと、
全部欲からである。
だから、世の中のことをまた『欲の娑婆』とも言うている。

法華経の中に『諸(もろもろ)の苦の原因は大欲を以て本となす』

とあるが、この大欲が常に我々を禍いするのです。
我々はある意味から言うと、
欲という悪魔のために踊り回わされているようなものです。

お釈迦様が欲を戒められることは実に至れり尽くせりである。

欲にもいろいろあるが、
まだもらわぬうちの欲を戒めたのが少欲で、
もらってからの欲を戒めたのが知足(ちそく)である。
少欲と知足とは人間の欲全体を戒めた掟である。」(同書より引用)

 

欲の娑婆…。
日々の自分の生活を顧みると、まさにそうです。
損得勘定に明け暮れて、上がったり下がったり、
不満を言ったり、満足そうに笑ったりして、過ごす日々。
欲に振り回されて、過ごす日々です。

 

大量消費、娯楽主義の現代社会は、
多欲と不足を動力に回っているようにすら思えます。

しかし、多少の欲が満たされようが、
別に人は幸せにはなりません。
多欲は際限なく求め続けていくからです。

いくら必死で駆け回ろうと、
そこに幸せも、心の平和もないと
わかっているはずなのに、止まらない。

現世でも、会いたいと思う人にはなかなか会われず、
会いたくないと思う憎い奴にはチョイチョイ会う。
肥った人は肥った人で困り、痩せた者は痩せた者で困っている。

みなお互い、それ相当に苦しんでいる。
どこまで行っても、もうこれでよろしいという時はない。
一体どこまで追いかければ満足するのか、
欲と駆けっこである。
これが追求、すなわち多欲である。
『多欲の人は多く利を求むるが故に苦悩も亦多し』とは、

ここのことである。」(同書より引用)

 

努力や才能、健康や幸運に恵まれた人は、
相対的言えば、その分だけ多く欲を満たせているはずです。

 

それなのに、そんなことより隣の芝生、
もっともっと多く欲を満たしている人にばかり目がいきます。

羨ましい、自分はまだ足りない。もっともらえるはずだ。
そうやって欲とかけっこをして、
気づけば自分も、周りの人も、ボロボロになっている。

ほんとうに、なんど反省したって、し切れないのが、
この「少欲と知足」の戒めだと思います。

では、そんな戒めを「自然に」守る少欲と知足の人は
どんな日々を送るのか。
澤木興道さんは言います。

少欲というのは、
単に我々の追求する欲望を薄くするというばかりでなく、
我々の人格に、どことなく落ち着きが出てくるのです。
欲しい欲しいと思ってわくわくしないから落ち着くのである。
お布施は幾ら包んだかな、月給はどのくらいくれるかな、

原稿料を幾らぐらい出すかな、
お礼を幾ら持って来たかなと、
もらわぬうちから、わくわくしていたのでは、

どうしたって落ち着きっこない。
そこで少欲の人は、どっしりして腹がすわってくる。
腹がすわれば度胸がすわる。

勇気が出てくる。
欲の深い者に本当の勇気のあろうはずがない。(同書より引用)

 

落ち着き・度胸・勇気、
まさに、自分に足りないものばかりです。笑

もらわぬ先から欲しない「少欲」と
もらった後でもっと欲しがらない「知足」。
悩みの只中にいるときに、ふっと思い出すだけでも、
心が軽くなることがあります。

「なんだ、べつに欲張らなけりゃ、
焦ることだって、不安になることだってないんだ
与えられたもので、別に十分生きていけるじゃないか」

そんな風に思えたときは
肩の力も抜けて、生きていることそのものを味わえる、
そんな気がします。

より多くを求めずに、
既に恵まれてあるものに感謝する。
じっと坐って、ただ呼吸を味わう。

毎日の座禅によって、
少欲と知足とを離れない
穏やかな日々を味わっていきたいですね。

お読み頂きありがとうございました。
今日も良い一日をお過ごし下さい!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

20代。早稲田大学を卒業。大学時代に生きることに悩み、哲学書・宗教書・文学書を読み漁った結果、頭だけで考えても仕方ないと悟り、臨済禅の坐禅道場で参禅修行を始める(4年間修行)。 2020年に(カトリック)教会で洗礼を受ける。 路上お悩み相談(コロナ禍によりお休み中)や、SKYPE相談・雑談、コーチング、生きねば研究室など、一対一の本音で対等な関わりを大切に、自分にできることをほそぼそとやっています。