キリスト教入門記[3]私は主役ではなく神の道具・器。神の愛を感じなくとも、信じて主のもとへ何度も立ち返る。
自分は主役ではなく、神の道具。神の愛を感じなくても、主のもとへ何度でも帰る。 最近気づいたこと。いまのぼくにとっての「偶像崇拝」(神以外のものを崇めること)は、人からの賞賛であり、自分が他の人よりも優れた面を持つという優…
自分は主役ではなく、神の道具。神の愛を感じなくても、主のもとへ何度でも帰る。 最近気づいたこと。いまのぼくにとっての「偶像崇拝」(神以外のものを崇めること)は、人からの賞賛であり、自分が他の人よりも優れた面を持つという優…
クリスチャンの内輪争いのショボさ。人を信頼して自由意志を与えてくださっている神。 もう2ヶ月くらい近くのカトリック教会の入門講座、聖書講座に参加させて頂いている。神父サマの考え方とぼくはとても相性が良い気がしていて、いつ…
イエスが私を愛してくれているということが信じられない 「キリスト教求道記」を始めてみます。 他の記事は、それなりの責任も意識して、他人さまにも見せられる質の記事を意識して書いているのですが、このシリーズでは、ぼく自身のキ…
十字架への自らを犠牲にしたイエス。「敵」である人間を愛しゆるすために。 「非信徒からみたキリスト教の魅力」第二弾の今回は、「究極的な愛のモデルであるイエスにならって生きること」です。 キリスト教の論理では、神とその御子イ…
「自分の苦しみと苦悩を、神に語りかけることができる」 キリスト教、すてきだなぁと思うところはたくさんありますが、 今回は「自分の苦悩を語りかける相手がいること」に注目してみます。 生きる苦しみ・悩みが自分独りだけのもので…
天國は勞動人を葡萄園に雇ふために、朝早く出でたる主人のごとし。 20:2一日一デナリの約束をなして、勞動人どもを葡萄園に遣す。20:3また九時ごろ出でて市場に空しく立つ者どもを見て、 20:4「なんぢらも葡萄園に往け、相…
聖書本文 ドライブ中などに聖書に触れられるように自分用に録音したものですが、もしかしたらみなさんのお役に立つかも知れないので、アップしました。ご活用くださいませ。 6:1汝ら見られんために己が義を人の前にて行はぬやうに心…
聖書本文 ドライブ中などに聖書に触れられるように自分用に録音したものですが、もしかしたらみなさんのお役に立つかも知れないので、アップしました。ご活用くださいませ。 6:1汝ら見られんために己が義を人の前にて行はぬやうに心…
自分の部屋でレクティオ・ディヴィナの聖書黙想を行って得た気付きと内省とを、分かち合いとしてこちらに載せます。 みなさんの聖書の黙想にお役立て頂けましたら幸いです。 とりあえず今回は文語文でやりましたので(頭に言葉が残りや…
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