キリスト教

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キリスト教入門記[3]私は主役ではなく神の道具・器。神の愛を感じなくとも、信じて主のもとへ何度も立ち返る。

自分は主役ではなく、神の道具。神の愛を感じなくても、主のもとへ何度でも帰る。 最近気づいたこと。いまのぼくにとっての「偶像崇拝」(神以外のものを崇めること)は、人からの賞賛であり、自分が他の人よりも優れた面を持つという優…

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キリスト教入門記[1]澄んだ祈り・読書。イエスが私を愛してくださっていることの信じられなさ

イエスが私を愛してくれているということが信じられない 「キリスト教求道記」を始めてみます。 他の記事は、それなりの責任も意識して、他人さまにも見せられる質の記事を意識して書いているのですが、このシリーズでは、ぼく自身のキ…

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非信徒からみたキリスト教の魅力②究極的な愛のモデル、イエスと共に生きること。

十字架への自らを犠牲にしたイエス。「敵」である人間を愛しゆるすために。 「非信徒からみたキリスト教の魅力」第二弾の今回は、「究極的な愛のモデルであるイエスにならって生きること」です。 キリスト教の論理では、神とその御子イ…