信仰とは②理性の及ばぬ神秘へ、意志の手でしがみつく。
今回は「信仰なんて…」と、とりあえず斜めに見てしまう人に向けて、「信仰とは一体なにか」哲学的な著作からご紹介し、 信仰はただの盲信なく、真剣で誠実で勇気ある営みであることをすこしでも伝えられたらと思います。 信仰と真理・…
今回は「信仰なんて…」と、とりあえず斜めに見てしまう人に向けて、「信仰とは一体なにか」哲学的な著作からご紹介し、 信仰はただの盲信なく、真剣で誠実で勇気ある営みであることをすこしでも伝えられたらと思います。 信仰と真理・…
矛盾する想いを混在させるカオスとしての人間が、永遠絶対の神によりたのむこと 人はなぜ宗教を求めるのか。第四弾です。 今回は、矛盾もするし心も変わる、なんの足場も、枕するところもない人間が、永遠不変の神を求めていく道すじを…
前回の人は食って寝るために生きる。田川建三①my読書[4]では、田川建三の宗教批判を、「生活・現実」を離れることへの徹底的な批判という点に注目しました。 今回は、新約聖書を神の言葉として絶対化することへの田川の批判に注目…
これから何回かに分けて、 ニーチェの『道徳の系譜』の読解を行っていきます。今回は「序言」と、ぼく自身の『道徳の系譜』の思い出をご紹介し、『道徳の系譜』は何を問い、その問は何をもたらすのかを確認します。 ニーチェの『道徳の…
さて、前回の記事では「序言」と、ぼく自身の「道徳の系譜」を読んだ衝撃について書きました。 「序言」で確認された『道徳の系譜』の2つの主題とは、 1, ということでした。 今回の記事では1の問い、 『善悪という「道徳的」価…
夏目漱石が用いた小説テクニックを学ぼうという、実用的な本(物書き限定ですが)を読んでいましたら、「言葉の排他性」についてのうまい説明がありました。それを読んで、「沈黙の受容性」と言えるような発想が湧いてきましたので、その…
ニーチェの『ツァラトゥストラ』は、現実を生きようと悪戦苦闘する者たちの尻を叩いてくれる。 ニーチェもツァラトゥストラに自分の尻を叩いてもらっていたのだろう。 今回は、ニーチェの「学者」(現実を傍観する人たち)批判を紹介す…
人はサルにも超人にもなれる。(ツァラトゥストラ) わたしはきみたちに超人を教える。人間は、超克されるべきところの、何ものかである。きみたちは、人間を超克するために、何をなしたか。(中略) きみたちは虫から人間への道程を成…
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