折れない心より、ころんだ後に立ち上がる強さ

現実を忘れる息抜き(趣味や遊び)で気分を変えられる場合

誰しもが「折れない心」、「どんな困難があろうと決して挫けない強さ」に憧れを持つだろう。
しかし慌ただしい毎日を暮らし、決して私のために待ってはくれない現実を生きる「生活者」としての私たち。そんな私たちにとって必要なのは折れない心ではなく、ころんだ後に自分の力でまたしっかりと立ち上がる強さの方だ。

決して自分の思ったようには行かない現実世界で、くじけてしまうことは誰にでもある
ひどい不運が続くこともあれば、現実の自分のみじめさ不甲斐なさに絶望することもあるだろう。
そんなとき、私たちはしばしば現実から離れる時間を必要とする。映画や本を読むこと、スポーツで汗を流すこと、旧友と心置きなく遊ぶこと、人によって方法は様々だろうが、
しばしの間やり切れないこの現実を忘れ、自分を忘れる時間である。
うまく現実と自分とを忘れることに成功すれば、また新しい気持ちにリセットして再び現実に向かうことができるだろう。

現実を忘れられず、現実を諦めてしまえとヤケになる場合

しかしこれがうまくいかないこともある。誰といて、何をやっても、現実から離れられないときだ。
こんなときには、どこで何をしていても現実がつきまとう。「いつまでもこんなことを続けられると思うなよ、お前にはあの厳しくつらい現実が舌なめずりして待っているぞ」
そんな言葉が頭から離れないのである。
こうした場合に一番危ないのが、現実自体に嫌気が差して、「現実も自分もどうでもいいやと、現実を捨て去ってしまおうと、ヤケになってしまうこと」である。
れはさっきの「現実と自分を一時的に忘れる」のとは違う。「忘れる」方は、一時現実から離れて現実とは関わりのないところで息抜きをするのであるが、「捨て去る」方は現実自体を諦めてしまおうとすることである。
後者の地点から現実を生き直すには、より巨大な力と転換を必要とするのだ。
「もう現実なんてどうでもいい、俺はどうしようもない人間だ」と考えるとき、私たちはそのことに少なからず快感を覚える。それはいままでのしかかっていた現実の重み、責任から解放されることでもあるからである。けれどこの堕落の時間の甘さも、時とともに薄れていき、少しずつ「我に帰り」始める。
「いつまでもこんなことしていたって、全く意味がない、ちくしょう!戻らなくちゃいけない!でも…」
斜め下へと転がってゆく行為を行いながらも、今度は「現実にもどらなくちゃ」との考えが頭を駆け巡る。
「ころんだ後に自分で心を入れ替えて立ち上がる力」が必要になるのはこんなときである。

下り坂の途中、自分の力で振り返り現実に向かって坂を登る、立ち上がる力

楽しい趣味や遊びに熱中して息抜きができる場合は、それらが勝手に自分の心を入れ替えてくれる。
一方今回の場合、堕落へ向かう坂道の途中で、「自分の力」で振り返り、現実へ向かって坂道を登らなくてはいけないのだ!
これはなかなかの大事業である。「現実へ帰ろう」と強く思わせる出来事を待つことも一つの手だが、そんな悠長なことを行ってられない場合もある。

こうした「ころんだ後に自分で心を入れ替えて立ち上がる力」を与えてくれるのは、何よりもその帰るべき現実の魅力である。例えば自分が心から納得の行く、やりがいを感じられる仕事をしていたとする。
そうした人なら、「ちくしょう!嫌だ、現実なんてみたくない…」と思いつつも、「でも俺はなんとしてもあの仕事に舞い戻らなくてはいけないぞ」と、下り坂から振り返り現実へと坂を登る気にもなるだろう。その他、家族、高い給料、恋するあの娘、自分の存在を懸けた理想・ミッション、なんでも良い。
もし、帰るべき現実に何の魅力も感じられないのなら、そんな現実はいっそ捨て去って、現実を変えていくべきだとも思う

現実を諦め、現実を捨て去ってしまいたくなる時は誰にでも訪れる。そんなときこそ、いちど頭を冷やして冷静になって、「じゃあこの帰るべき現実に、俺は何を求め、何のために生きていたのだろう」と振り返ってみるのだ。
あなたがしっかりと現実に根を張って生きていたのなら、必ずや、立ち上がる力が湧いてくるであろう。
もし湧いてこないのならば、そんな現実は捨て去って、もう一度自分にとって納得のいく仕方で現実と関わる道を模索すべきである。
生き方を変えるのに、またとないチャンスとなりうる。

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ABOUTこの記事をかいた人

20代。早稲田大学を卒業。大学時代に生きることに悩み、哲学書・宗教書・文学書を読み漁った結果、頭だけで考えても仕方ないと悟り、臨済禅の坐禅道場で参禅修行を始める(4年間修行)。 2020年に(カトリック)教会で洗礼を受ける。 路上お悩み相談(コロナ禍によりお休み中)や、SKYPE相談・雑談、コーチング、生きねば研究室など、一対一の本音で対等な関わりを大切に、自分にできることをほそぼそとやっています。