その行為は「そもそも何のため?」か冷静に見つめ直すこと

これって何のためにやっているんだっけ

あなたは今、なんだか調子がでないなぁと思いつつ作業や仕事をやっています。
そんなときふと、「あれ、これって何のためにやっていたんだっけ?」と思うことはありませんか。

僕も例えばブログを更新しようあれこれいじっていて、なんだか記事もうまく書けない、やる気がでないというときがあります。その原因の一つは「目的に納得しないまま行動している」からではないでしょうか。

先のブログの例だと、「こんな記事を書いて誰かの役に立てたい!」という思いをもって記事を書こうとしているのではなく、「今週は一回も記事を書いていないから、そろそろ何か書かなくちゃ」と焦って「書かされている」わけです。

そのときの感情に流されて生きている私たち

そんなときこそ、そもそも「何のためこの行為を行っているのか」を冷静に考えてみることが必要です。人はたいていの場合、「~のために~をしよう!」と考えて意識的に行動をしてはいません。
明確な目的もないままに、感情的に「~をやらなくちゃ」と、何かに追われて行動していることが多いです。

つまりそのときそのときの感情の波に流されて理由も目的もよくわからないままに行動しているのです。

今後の人生を左右するような大きな課題はそれだけ感情の波は大きく荒れています。逆にノルマや意義が明確でない作業は小さな感情の波にも流されていきます。

その行為の意味や目的、あるべき姿をイメージし直す

自分の感情や焦りを一回わきに置いて、冷静に
「この作業・課題の目的はいったい何?」
「私は何のために取り組んでいるのだろう」
「この課題の重要度は?この課題の作業時間と質のあるべきバランスは?」
などを考えてみるのです。

冷静になって今自分の行っている作業・行為を見つめ直してみることで
そのときの感情に流されず、その行為が本当にあるべき姿に近い形で行えるようになります。

そもそもその行為は、「なんとなくやらなくちゃ」と焦っているだけで「今は必要のない行為」であるのかもしれません。
ただ今の自分が安心したいから、やらなくちゃと焦っているだけの行為で、長期的にみたら今やるべきことではないのかもしれません。
その行為は、質よりも速さ重視でサクッと終わらせ、もっと大事な別の作業に時間をかけるべきなのかもしれません。その逆に、時間をゆっくりかけて長期的に取り組むべきものかもしれません。

行為の価値や目的はあなた自身が決めることです。
たとえ同じ課題・行為であっても、「どんな姿勢でどれだけ納得して行動しているのか」
によって毎日は全然違うものになります。
そしてその一日一日の積み重ねこそが人生です。
まとめ
・人はその時の感情に流されてわけも分からず行動していることが多い。
・そんなとき「自分の感情を離れて」「冷静に」その行動を捉え直す。
・その行為があるべき姿がイメージされ、心から納得できている行動は質が全く違う。
・一つひとつの行動をどれだけ納得して行っているかの積み重ねが「納得した人生」。

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ABOUTこの記事をかいた人

20代。早稲田大学を卒業。大学時代に生きることに悩み、哲学書・宗教書・文学書を読み漁った結果、頭だけで考えても仕方ないと悟り、臨済禅の坐禅道場で参禅修行を始める(4年間修行)。 2020年に(カトリック)教会で洗礼を受ける。 路上お悩み相談(コロナ禍によりお休み中)や、SKYPE相談・雑談、コーチング、生きねば研究室など、一対一の本音で対等な関わりを大切に、自分にできることをほそぼそとやっています。