「みらい」を夢見て「いま」をやり過ごす生。ドラマ『大恋愛』を観て

ほとんど7,8年ぶりに観たテレビドラマ、『大恋愛』を観て考えたことを書きます。(まだ7話までしか観てません。)
ドラマ作品としての批評をするわけではなく、ただ『大恋愛』を観て触発されて考えたことのメモです。(役者の演技もとてもすごい)

『大恋愛』は一言でいえば若年性アルツハイマー病を患った「尚」小説家「真司」の純愛ドラマです。見たことがないという人も、この記事は問題なく読めますので、読んで頂けると嬉しいです。

こぼれ落ちていく砂の美しさ

尚は、これからすべてを忘れていきます。小説家である夫、真司との運命的な出会いも忘れ、真司自身のことも忘れ、それどころか自分自身すらもわからなくなる、歯磨きすら自分でできなくなることが、宣告されています。
真司は尚を評して、「彼女はいつも走っていた」と評します。残された時間を少しでも幸せに過ごそう、愛する人のことを認識できるうちに、少しでもいまを味わおうと、いまの時間を生きることに精一杯です。
ドラマのOPは尚の手からこぼれ落ちていく砂を、真司が両のてのひらで受け止めるシーンでいつも始まりますが、そのように尚からはすべてがこぼれ落ちていくのです。何も残せません。積み上げられません。一切はただこぼれ落ちていきます。
二人にとっての、「いま・現実」とは、こぼれ落ちていく砂の美しさです。どこにもつながってはいない、ただ流れ落ちていく。しかし、消えていくからこそ、味合わなくてはいけない、味わいたいもの。

誰の未来も死と忘却である

しかし、たとえアルツハイマー病ではない人たち、わたしたちにとってもこの生の根本の流れは変わりません。人は死に向かって生き、過ぎ去った過去は二度と戻ってきません。思い出せたからとて何なのでしょう。
一度失われた者は永遠に帰ってきません。尚は死と忘却の彼方へと「走っている」かもしれませんが、実はぼくの方が超特急で死へ向かって走っているのかもしれないのです。今日一緒に過ごした人が、明日にはもう死んでいるかもしれません。

人は「いま」が「みらい」につながっているのだと、根拠もなく信じています。「いま」は決して流れ落ちていく砂のようではなく、少しずつ積み上げられていつか何かに結実するものだと。まさか今日の夜目を閉じたきり二度と目をさますことがないなんて考えません。
「いま」を「みらい」とは切り離して、ただ「いま」として味わって生きることは困難です。

人は余命を知らされて、自分が死ぬことをはっきりと自覚することで生き方を変えるといいます。例えばキリスト教に入るという話もよく聞きます。「生きていることの有り難さに気づいた」といいます。
「自己の死の自覚」は、「みらい」を失うことだといえます。
しかし人間、いや動物、生命の「みらい」は本来的にはみな「死」であり、個体がばらけて地にかえることです。
自分が最後には死ぬことを真に自覚している人間がもし余命を宣告されたなら「なるほど残りはそれくらいね、了解」と言って、おしまいかもしれません。

「みらい」を夢見て「いま」をやり過ごしている

「みらい」を頼って「いま」を生きるという私たちの生は、川の水面を下っていく葉っぱの上に座ってつまらなそうにスマートフォンをいじっているようなものかもしれません。
いつ水中に引き込まれるか、木の枝に引っかかってしまうのかもわからないのに、流れ行くその景色を見ず、せせらぎをも聞かず、クソほどつまらないことにうつつを抜かして、あれ欲しいこれ欲しい、こうしたい、ああしたい、と「みらい」を夢見て「いま」をやりすごしています。
だからこそ、死を宣告されて「みらい」を失ったとき、驚き絶望するのです。一体これまで何をしてきたのだ、これからすべては無意味じゃないか、一体生きていて何になるのだ。
これまでも、これからも、ただ生き続けてきただけです。「いま」何かをし続けてきた、いま「このいま」を生きている、それだけであって、これからもそうなのです。

「生きているのはいつでもこの今だけであること」
人はこれだけのことが受け入れられず、認められず、そうして「いま」を失い続けまま、死んでいくのでしょう。
そうした世に対して、『大恋愛』やその他人の死を知らせる物語は「このままで良いのか」という重たい問いを投げかけてきます。この問いに応え、生活を変えていくことは険しい道ではありますが。

補足
あまり救いの見えない記事となってしまいましたが、まとまりが良いのでここで切ります。この現実の生のみじめさをくぐり抜けることも価値があることだと思っています。

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人の死を知らせる物語として一番のおすすめは、堀辰雄『風立ちぬ』です。ジブリの映画の『風立ちぬ』とは違い、サナトリウムで静かに死に向かってゆく妻に寄り添い続ける夫の話です。
kindle端末なら、堀辰雄全集もワンコインで買えてしまいます。kindleについて

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ABOUTこの記事をかいた人

20代。早稲田大学を卒業。大学時代に生きることに悩み、哲学書・宗教書・文学書を読み漁った結果、頭だけで考えても仕方ないと悟り、臨済禅の坐禅道場で参禅修行を始める(4年間修行)。 2020年に(カトリック)教会で洗礼を受ける。 路上お悩み相談(コロナ禍によりお休み中)や、SKYPE相談・雑談、コーチング、生きねば研究室など、一対一の本音で対等な関わりを大切に、自分にできることをほそぼそとやっています。