キリスト教入門記[2]自由意志への信頼と内輪争いのしょぼさ
クリスチャンの内輪争いのショボさ。人を信頼して自由意志を与えてくださっている神。 もう2ヶ月くらい近くのカトリック教会の入門講座、聖書講座に参加させて頂いている。神父サマの考え方とぼくはとても相性が良い気がしていて、いつ…
キリスト教
2019.03.16 ばさばさ
クリスチャンの内輪争いのショボさ。人を信頼して自由意志を与えてくださっている神。 もう2ヶ月くらい近くのカトリック教会の入門講座、聖書講座に参加させて頂いている。神父サマの考え方とぼくはとても相性が良い気がしていて、いつ…
キリスト教
2019.01.01 ばさばさ
「自分の苦しみと苦悩を、神に語りかけることができる」 キリスト教、すてきだなぁと思うところはたくさんありますが、 今回は「自分の苦悩を語りかける相手がいること」に注目してみます。 生きる苦しみ・悩みが自分独りだけのもので…
私の罪を許すために
十字架にまでかかったお方である。
その愛を信じるところにおいて、
神に委ねたいと思い、
それでも手放せない自己を、
なんとか委ねたい、
キリストによって生きたいと願い、祈るのである。
「倫理的理想という如きものはなお人間的である。
人間の理想に従って善悪を定むる事は絶対なる神の意志に従う事ではない。
自己の意志によって神の力を忖度する事となる。(中略)
真の救済においては道徳的善悪を捨てて神に帰するのでなければならぬ。」(『西田幾多郎講演集』より)
ストイックに生きようとすること、
自分をコントロールしようとすること、
倫理的・道徳的に生きようとすることは、
結局「こちらが良い」と自分で雑に判断して動くことに過ぎない。
自分で選択しているだけだ。
だから、自然なエネルギーは圧殺されていく。
今日の子ども食堂は
私が全体の運営をせねばならぬから
今朝は久しぶりに早起きして
仕事に勤しんだ。
未明の仕事の達成感よ。
人間、
ときには強制的に
頑張らされねばならぬと思った。
執筆中の小説の主人公の女性が
シモーヌ・ヴェイユへの傾倒を見せているため、
ヴェイユの思想を読んでいるが、
ヴェイユがこんなに既存のキリスト教と袂をわかっているとは思わなかった。
エックハルト,そしてカミュにさえ近いものを感じる。
そしてどこまでもラディカルで、…
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