「聖書」は人間が書いた不完全な書物-田川建三② my読書[5]
前回の人は食って寝るために生きる。田川建三①my読書[4]では、田川建三の宗教批判を、「生活・現実」を離れることへの徹底的な批判という点に注目しました。 今回は、新約聖書を神の言葉として絶対化することへの田川の批判に注目…
前回の人は食って寝るために生きる。田川建三①my読書[4]では、田川建三の宗教批判を、「生活・現実」を離れることへの徹底的な批判という点に注目しました。 今回は、新約聖書を神の言葉として絶対化することへの田川の批判に注目…
これから何回かに分けて、 ニーチェの『道徳の系譜』の読解を行っていきます。今回は「序言」と、ぼく自身の『道徳の系譜』の思い出をご紹介し、『道徳の系譜』は何を問い、その問は何をもたらすのかを確認します。 ニーチェの『道徳の…
ここのところ、Twitterでも防水NewモデルのKindle広告をよく目にしますね。 今後このブログでもkindle書籍を紹介、おすすめすることが増えると思うので、一度kindleについて紹介しておきます。 去年の9月…
『ビヂテリアン大祭』は宮沢賢治の数ある作品の中でも一風変わった作品です。 物語らしい物語はなく、普段は肩身の狭い思いをして暮らしているベジタリアン(菜食主義者)たちが、 ベジタリアン大祭というベジタリアンのための宗教行事…
「文学とはなにか」「文学は何を成しうるか」もはや今では忘れ去られた問いかもしれません。 しかし過去の文学者たちは、自分たちの存在意義にもつながるこの問いを、必死で考え続けました。それは文学が一級の文化と考えられ、自らの重…
さて、前回の記事では「序言」と、ぼく自身の「道徳の系譜」を読んだ衝撃について書きました。 「序言」で確認された『道徳の系譜』の2つの主題とは、 1, ということでした。 今回の記事では1の問い、 『善悪という「道徳的」価…
「なぜクリスチャンであるのかね」「このことが真理だからだよ」 ①、②の記事では、絶望的な状況から宗教に「救い」を求める、ちょっと重苦しい内容でした。 今回は「世間的な価値観」(私を主役として、「私のため」に世界すべてをみ…
「ただただ目の前の人の苦しみをだけ見る『罪と罰』のソーニャ。 ドストエフスキーの『罪と罰』でソーニャの愛はラスコーリニコフを絶望から救い上げ,回心させました。 人を絶望の底から救い上げる愛があります。そんなソーニャの愛と…
自己の愚と矛盾とを知りつつも自分では何もできない。だから神・仏の中に自己を投げ出し、棄て去る 西田幾多郎、晩年の論文「場所的論理と宗教的世界観」は彼の宗教に対する考え方を、他の著作の何倍もわかりやすく描いています。(西田…
「自分にはこの道しかないはずだ!」と自分で自分を説得する可笑しさと、「ぼくのビックバン」この2つをつなげたいのだ、ぼくは。 ぼくは「このぼく」であって、他のだれでもない。他の誰か、例えば田中さとしくんにとっては、「この田…
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