非信徒からみたキリスト教の魅力②究極的な愛のモデル、イエスと共に生きること。
十字架への自らを犠牲にしたイエス。「敵」である人間を愛しゆるすために。 「非信徒からみたキリスト教の魅力」第二弾の今回は、「究極的な愛のモデルであるイエスにならって生きること」です。 キリスト教の論理では、神とその御子イ…
十字架への自らを犠牲にしたイエス。「敵」である人間を愛しゆるすために。 「非信徒からみたキリスト教の魅力」第二弾の今回は、「究極的な愛のモデルであるイエスにならって生きること」です。 キリスト教の論理では、神とその御子イ…
宗教にまつわる本を読んでいて、大きな罪を犯すことなく生きてきた自分を残念におもったことが、ぼくにはあったらしい。 自分のあまりの罪、汚らしさに真っ正面からぶちあたったことで、そこから一気に宗教の道を突き進んで行った人たち…
回 全ては無意味。 人生はむなしく、孤独に閉じ込められたまま、あの世に向かってひとりきりで川をくだっていくようなもの、なんの価値もない、何の意味もない、どうしようもない肉のかんおけだと、人は言う。 こんなのは、ぜんぜんシ…
ぼくはいちおう小説としてこの文章を書き始めたらしい。 それなりの価値があると思って、ぼくはこうして書いている、らしい。 「らしい」というのは、自分のこころのわからなさだ。自分のこころがわからない。「本当は」何を感じ、考え…
「自分の苦しみと苦悩を、神に語りかけることができる」 キリスト教、すてきだなぁと思うところはたくさんありますが、 今回は「自分の苦悩を語りかける相手がいること」に注目してみます。 生きる苦しみ・悩みが自分独りだけのもので…
前回は「自己への不信・自意識の闇」に留まることに耐えきれずに宗教を求める、という流れになんとか強引にまとめきりました。 けれども、ぼく自身のなかで「宗教を求める」という気持ちは決して整理されているわけではありません。生物…
ほとんど7,8年ぶりに観たテレビドラマ、『大恋愛』を観て考えたことを書きます。(まだ7話までしか観てません。) ドラマ作品としての批評をするわけではなく、ただ『大恋愛』を観て触発されて考えたことのメモです。(役者の演技も…
「人はなぜ宗教を求めるのか」何度も問われ、答えられてきた問いに、ぼくも応えてみたいと思います。 ぼくは何か特定の「宗教・宗派・ドグマ」にどっぷり浸かっているわけではありませんし、絶対的・宗教的な「安心」を手にしているわけ…
フィリピン、セブのマクタン島に4泊5日行って帰って来てから、これまでの自分との大きな断絶を感じます。 自分のこれまでの悩み、不安とは一体何だったのか。「悩むために悩んでいたのではないか」とすら思うのです。ぼくにとっては初…
新約聖書学者にして徹底的に辛辣に、観念的な領域に留まってしまう宗教へ問題を提起した田川建三をご存知でしょうか。 日本全国に出回っている「新共同訳」という聖書、およびキリスト教をストレートに批判しつつ、個人で新約聖書すべて…
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