ドストエフスキー
自称インテリ層にとってはもはや神よりも権威を持っていると言って良いのではないでしょうか。大学に入って文学をかじろうとした者に、体当たりをかましてくる巨大怪獣です。
文学青年に憧れたぼくも、もちろんはじめは踏み潰されました。
以降、ドストエフスキーの名が出ると、「あんなの読めないっすよ―」と笑い飛ばすか、びくびくと挙動不審になってしまうか、どちらかでした。
そんなドストエフスキーも今は大好きな作家ですが、ドストエフスキーを本当に楽しく読めるようになるまでは、大変でした。
実はこの本、「史上最大の傑作」とかそんなくだらない、ただ大げさな名前をつけただけの冠なんて、どうでも良いのです。
人間のバカさをユーモラスに笑い飛ばつつ、この不条理で、どうにもならない現実を、それでも前向きに生きるためヒントを与えてくれる、サイコーな本なのです。
なのでみなさんに読んでほしいです、語り合いたいです。
最初読み辛いのは事実ですので、そのハードルがどうにか少しでも低くならないか、考えました。
本記事では、「なぜドストエフスキー小説に挫折してしまうのか」
「そもそも何が面白いのか」
「どうしたら面白く読めるのか」をご紹介し、みなさんが
「ドストエフスキーを楽しく読めるようになる」か「別に私に読む必要なかったわ」と思えるか、どちらかの納得を得られるようなきっかけにしたいと思います。
プライドのために読もうというつまずき
ドストエフスキーを最初に読もうと思う一番多い理由は
「ドストエフスキーを読んだ人間になりたいから」でしょう。
ぼくももちろんそうでした。(哲学界隈での同じような大怪獣はハイデガー、カント、ウィトゲンシュタインだろうか。)
「文学史上最大の傑作」だとか「あれだけ長いのにまだ本編が始まっていない」とか、「神がいなければ全てが許される」「現代のキリストを創造した」とか『カラマーゾフの兄弟』を筆頭に、とにかくプライドをくすぐる文句が山ほどあります。
だから読みたい、語りたい。もしかしたら女にもモテるんじゃないか、とか思ってしまう。(「本を読んだらモテる。勉強ができたらモテる」そんなお花畑な考え方は早く卒業したほうが良いと思いますが笑)
こうした読み方から得るものはくだらないプライドと、読書初心者をいじめるための権威だけです。
だから辞めましょう。
しょうもないプライドは生きるのを不自由にするだけです。楽しむために読みましょう。小説なので、我慢して読んだところで何も残りません。
では、ドストエフスキーの面白さとはなんなのか?
高速のストーリー展開を楽しもうとするつまずき
ドストエフスキーの面白さの本質は「ストーリーの面白さ」ではありません。
もちろんストーリーの面白さもあります。『罪と罰』なんかはストーリー展開も一級品です。
しかしドストエフスキーにストーリーの面白さだけを期待すると、つまずきます。
なぜなら、サイドストーリーや人物の演説があまりに多く、
あっちへこっちへフラフラして、大筋のストーリーがなかなか進まないからです。
最近のエンターテイメントはスピードが命です。めまぐるしく展開が変わり、「え!どうなっちゃうの!」と思っている内に、どんでん返しがあって「あらまぁ!」と終わります。
この現代のストーリー展開の速さを求めている人/馴れている人にとっては、ドストエフスキー小説は間違いなく退屈です!
「えー!どうなっちゃうの!」となった次の瞬間、別の話がながーーく始まります。あるいは、どうしようもないおっさんや狂気のおばさんが何十ページもの大演説をぶちかまし始めます。
また、扱われるテーマがとっつきづらいこともしばしばです。
「刑法による罰は身体を拘束するだけで、犯罪者の良心にまったく働きかけない!今や国家は教会の一部になるべきじゃないか!」なんて、現代の日本人の99,999%が興味のないテーマで議論が白熱したりします。
こんな感じで、大筋のストーリーは何度もぶった斬られます。
「え、これって一体何の物語なんだったっけ?」
こうして自然と本に手が伸びなくなってしまうのではないでしょうか。
(流れるようなストーリー展開を楽しみたいのなら別の小説で良いでしょう。そもそも高速ストーリーの喜びを味わいたいなら、映画の方が良いと思います。
小説の面白さは、内面の描写、それによって暴かれる各人物の世界の見方です。)
つまり、ドストエフスキー小説の最大の魅力は、ストーリー展開の速さとは全く別のところにあるのです!!
テーマに興味がないというつまずき
ドストエフスキーの小説の魅力の一つはそのテーマ性です。
「神を信じない者には一切が許されているのか」
「人間はなんのために生きるのか」
「なぜ世界は不条理なのか」
「百害あって一利なしの老婆をこの世から葬り去ることは罪なのか」
などなど、重たくて巨大なテーマが目白押しです。
それらのテーマについて悩んでいるとき、ドストエフスキー小説は希望の光や底抜けの絶望を与えてくれるでしょう。
(後述するように、彼は人間を恐ろしく深く洞察し、あらゆる人間心理を見抜くかのようです。この底抜けの人間洞察が「あなたの興味あるテーマ」に向けられた時、ドストエフスキー小説はあなたにとっての人生の導き手となります)
しかし反対に、あなたがそのテーマに興味がないとき、これは退屈さになります。
例えば、「興味のないテーマ」に関して大学院生にいくら深く細かく、熱く語られても、正直アリガタ迷惑なだけです。勝手にやってろ!です。
ドストエフスキーが大好きなぼくでも、『悪霊』の、社会主義者たちの地下活動、革命計画を思わせる場面は退屈極まりないです。(でもこの場面は、学生運動全盛期の大学生にとっては一番アツいところだったかもしれません。)
反対に、『悪霊』のスタヴローギンの、「自分が辱めた幼女が、首吊り自殺を行う様子を鍵穴から平然と見続けることのできる人間の絶望的な冷たさ」というーマが始まれば、ぼくは俄然!読むスピードが上がります。そりゃあもう水を得た魚の如くです。
したがって、ドストエフスキー小説を読む場合、自分が興味のないテーマの場面はつまらなくて当然だと思って読み飛ばしたり、部分だけを読んだり、『カラマーゾフの兄弟』というボスは避け、自分が興味を持てそうな作品を選ぶことをおすすめします!
テーマ性へのとっつきやすさと、ストーリー展開の面白さから、
最初の一冊に、長編は『罪と罰』。短編なら『地下室の手記』、『おかしな人間の夢』『白夜』を断然おすすめします!
倫理、愛、罪、赦し、民衆の苦しみ、意識の混沌、恋愛、サスペンスといったテーマが挙げられます。
とっつきやすい2作品が両方入った⬆が最初に1冊には断然おすすめです!
奥さんが死んだときに、奥さんを最期まで大切にできなかったことを悔やむドストの手記も入っています。kindle版もあります。
ちなみに『悪霊』は、先述のスタヴローギン、人神になるためにピストル自殺する、神無き時代の狂気、理性だけに従うという愚かさでテロを計画するインテリたちなどがテーマでしょうか。インテリたちの社会主義者運動が主題の一つなのが、人を選びます。
『地下室の手記』
なぜ意識は病気なのか。意識の暴走。自意識の狂気。薄くて読みやすく面白いです。これが面白かったら、ドストエフスキーの通低音である、「意識の狂気」を楽しめること請け合いです!
「自意識の闇と宗教」の関係についてのぼくの考えについての記事はこちらです↓
『カラマーゾフの兄弟』は、神と教会のテーマがとっつきずらすぎて、一番読みにくいと思います。でも無数のテーマ一つひとつがすごいですから、ドストエフスキー小説に馴れたころにチャレンジするのが良いでしょう。
最大の魅力は人間に対する洞察―人間を味わう
ドストエフスキー小説の最大の魅力は、彼の底抜けの人間洞察です。いくらテーマが良くたって、登場人物たちが宇宙人みたいな感情の持ち主であったり、小学生並みの微笑ましい洞察しかないのなら、面白くないでしょう。
これらの記事で考察しましたが、彼の洞察はめちゃめちゃ深いです。神と一緒に人間の心理を作ったんじゃないか、と考えちゃうくらい。
「あー、こういうやついるよな」を通り越して、「現実のあの、おちゃらけ道化人間にもこんな苦しみがあったのかもしれないな…」
と反省したり、「あ、俺の生き方は最後は破滅なんだな」とか
「愛は可能なのだ!アリョーシャよ!」と大地にキスをしたくなることもあるでしょう。(大地にキスをするつもりで書いた記事がこれです↓)
ドストエフスキー小説を読む場合には、その人間に対する洞察の深さを楽しむつもりでつまり、登場人物一人ひとりの人生観、苦しみ、行動、生き方を味わうつもりで読めば、絶対に面白いです!
小説を読んで、人間の奥深さ、愚かさ、絶望と希望、馬鹿らしさを味わうのです。
「人間洞察なんてどうても良いわい!」という人は、別の本を読みましょう。というか、小説を読んでも面白くないと思います。もっと自分に合った自分の使い方をしましょう。
3つのコツ。ネタバレ上等!部分読み上等!ふせんぺたぺた
これと関連して、読むコツが2つあります。
1,ネタバレを気にしない
ドストエフスキー小説はの魅力は、ストーリーを追っていくことの喜びではありません。人間たちを味わうことです。したがって、長くて登場人物も多い彼の小説を読むためには、むしろ積極的にあらすじや構成を活用しましょう。
ストーリーがわかってしまって面白くなくなる小説なんて、しょせん「未知のものを追い、ストーリーの展開におどろくこと」という人間の欲を刺激するだけの小説に過ぎません。
ドストエフスキーは違います!読めば読むほど、人間を味わうことができます。「次の展開が気になって、読んでしまう」といったような安っぽい欲望ではなくて、「人間とは何か?」を知り、人間と、自分の人生とを味わうために、読みたくなるのです。(まさに当ブログのテーマ「この現実を生きなおす」ための読書・文学と言えます。
2,読み通そうと思わず、部分部分を楽しむ!
何度も言いますが、人間たちを味わうことが魅力です。なので、むしろストーリーを追うことがおまけなくらいです。だからおもしろいところがあったら、思う存分立ち止まりましょう!
同じところを読みまくりましょう!つまらなくなったら、戻りましょう、飛ばしましょう!始めから読みたい場所「大審問官」や「ゾシマ長老の過去の話」など、がある人は、次の記事でご紹介する「各部のあらすじを捉えて読む」やりかたで、途中から読んでしまうのもおすすめです!
ドストエフスキーの小説は強烈なできごとが山のようにあって、気づけば何がなんだかわからない、迷路の中にいる自分に気付くのです。
これから一体どの筋に注目すればよいのかも、これまで何があったのかもわからなくなります。そこで「全体ではない、各部のあらすじ」が役に立ちます。
3,自分が気に入った場面に「ふせん」を貼る、あるいはページの端を折っておく
『カラマーゾフの兄弟』は長大です。編と章の名前はしっかりと整理されていて、1章の主題と章のタイトルはほとんどイコールの有り難い本ではありますが、
ふせんなどの目印を貼っておかないと、改めて探すのは本当に大変です。また、何ヶ月にわたって読むという場合もありますので、忘れます。メインストーリーの流れは本ブログで紹介しますが、個人的に気になっているテーマや場面についてはふせんを貼り、何度も戻って味わいましょう!
隅から隅まで読みつくそうなんて無謀な試みは諦めて、いろいろんなことを思い切って、楽しく、読んじゃいましょう!何回読んでも楽しいのがドストエフスキーです!
こだわりを一切捨ててしまえば、底抜けの人間洞察から捉えられた人間世界の悲喜劇があなたを待っています!
・高速ストーリーを期待しないで
・興味のないテーマは飛ばしてね
・人間を味わうつもりなら楽しいよ
・ネタバレ上等!あらすじ活用!
・読み飛ばし、読み戻り、立ち止まる。
・ふせんを貼ったり、戻って読めるように目印をつけよう
当ブログは、ドストエフスキーの読み方をメインに扱っているわけではなく、「現実を生きなおす」ためのヒントを、文学・哲学・宗教学から発信しています。当ブログとぼくの活動についてはぜひこちらを御覧ください!
ドストエフスキー小説も、「現実を生きる上で何を学べるか」という観点から、取り上げています。
ブックマークの上、お暇な時にぜひ他の記事もご覧くださいませ!!
いよいよ小説をアップし始めました。
とても不器用な小説ですが、
これまでの生きねば活動を糧に
自分の想いを思い切りぶつけて書いています。それぞれの絶望にあえぎつつ、
なんとか生きているぼくたちを描きたいですみなさんの「生きねば」の参考になればと祈ります。https://t.co/bpMwGvSNdk
— ばさばさ 〆生きねば研究室 (@basabasatti) September 20, 2020
哲学で大学院進学を目指し、挫折するなど、ぼくの大学生時代の思い出⬇もあります。
『カラマーゾフの兄弟』の翻訳について。
小説を読み慣れている方は、華麗な文体の新潮文庫版がおすすめです!↓
とにかく読破したいという方は光文社古典新訳文庫版がおすすめです!↓
各巻のあらすじと、各登場人物について華麗にまとめた本が↓です。kindle版の方が安いと思います。ドストエフスキー好きはこの本をバック(kindle)に忍ばせておくと、いつでもドストの世界に入ることができて、おすすめです。
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