いよいよ小説をアップし始めました。
とても不器用な小説ですが、
これまでの生きねば活動を糧に
自分の想いを思い切りぶつけて書いています。それぞれの絶望にあえぎつつ、
なんとか生きているぼくたちを描きたいですみなさんの「生きねば」の参考になればと祈ります。https://t.co/bpMwGvSNdk
— ばさばさ 〆生きねば研究室 (@basabasatti) September 20, 2020
上記の記事から引き続いて、
今回は『カラマーゾフの兄弟』第1部のあらすじを掴みます。
この第一部だけでも短めの小説一冊分くらいはありますが、メインストーリーが始まる前の導入のような位置づけができます。
つまり、一見「何も始まっていない」。この物語の登場人物や状況の紹介です。
高速のストーリー展開を求める人の多くが、この長大な「前置き」でリタイアしてしまうでしょう。
だからこそ、あらすじを把握しておくことが役立ちます。
あらすじを知っていれば、ストーリー展開に焦ることなく一人一人の登場人物の深い深い人間性や、ドストエフスキーの人間への鋭い見方を味わえます。
ストーリーを求めてしまっては退屈な第一部ですが、ここで一つ一つのエピソードに集中し、それぞれの人間の深みを味わっておくと、物語が本格的に始まったとき、そこへの入り込み方も格段に違います。
普通の長さの小説とは、登場人物一人ひとりの深みが全く違うのです。
一人ひとりの人間のこれまでの生涯を知った上で、知人のように身近になった彼ら一人ひとりが一つの物語を織りなしていくということ、登場人物全員に共感ができるくらい、彼らの生を知っているということが、大長編の小説を読む大きな魅力の一つです!
第一部を超えたネタバレは極力避けていますので、ご安心ください
第1編「ある家族の歴史」―登場人物紹介!
第一編はタイトルのとおりです。
カラマーゾフ一族およびその関係者、舞台となるチェルマシニャーにある修道院のゾシマ長老が、前置きとは思えないほどたっぷりのエピソード付きで、登場します!
それぞれの兄弟の養育者や、どこでどんなふうに育ったのかなど、わんさか情報が出てきますが、とりあえず、
この図プラス、アリョーシャが心酔するゾシマ長老がどんな人物かだけわかっていれば、十分です。
なお、「アレクセイ」は「アリョーシャ」(親密さを込めた呼び方)と呼ばれるなど、呼び名が2,3個ありますが、そのうちに慣れますし、そもそも性格で判断できますので恐れずに行きましょう。
長男ドミートリーはミーチャとも呼ばれます。冷たいインテリ次男イワンはイワンだけです。
登場人物紹介と言ってもただの紹介だけでなく、ドストエフスキーの鋭い人間洞察やブラックユーモアも爆発しているので、そうした細かなところも大いに楽しんで読みましょう!
この娘なぞは数年にわたってさる紳士におよそ理解しがたい恋をよせ、いつでもその男としごく円満に結婚できたのに、
超えがたい障害を自分で勝手にひねりだして、嵐の夜、絶壁にも似た高い岸から、かなり深い急流に身を投じ、(中略)ひとりよがりの気まぐれから生命をおとしたものである。
それも、彼女がかねがね目をつけて惚れこんでいたその絶壁が、もしそんなに美しくなく、散文的な平らな岸であったとしたら、おそらく自殺なぞはまるきり起こらずにすんだはずであった。(中略)
わがロシアの生活には、ここ2、3世代の間に、こうした、あるいはこれに類した事態は少なからず起こっていると考えねばなるまい。
(『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー著、原卓也訳、新潮文庫、第1編1)
これはフョードルの最初の奥さん(ミーチャの母)アデライーダの情熱的な性格は、決してロシアでは珍しいことではなかったとを強調するために挙げられた例です。
これはユーモアなのか、それとも鋭い人間観察の事実なのか、微妙なところですが、その微妙なところも、なんとも味がありますね!
とりあえずこの表に出てくる人間+ゾシマ長老の人となりがなんとなくでも頭に入っていれば十分です!それぐらいの気持ちで肩の力を抜きながら読むと、それぞれのエピソードを楽しんで読めるかと思います。
各編の注目・おもしろポイントについてはまた後日書きます。
第2編「場違いな会合」―登場人物たちが集結!
1編では登場人物たちが一人ひとりいくつかのエピソードで紹介されました。
そんな彼らが、この2編では一堂に会します!
つまりここで、はじめて登場人物たちの横のつながり、関係性が生まれるわけです。
例えばフョードルとミウーソフは終始張り合っていますし(個人的に面白いやりとりです)、フョードルとミーチャはすでにライバルです。
(ミウーソフは2編ではよく出ますが、以後しばらくほとんど出なくなりますので、あまり気にしなくて良いです。ミウーソフとはフョードルの最初の妻アデライーダのいとこで、ほったらかしになっていたミーチャをロマン的に助けてあげて、それからはもうミーチャのことは忘れちゃっていた人です。(1編の2参照)だからフョードルと戦うのがちょっと楽しみでもあるんでしょう。)
こうした、登場人物たちの関係性が読者に伝えられます。まさに物語のスタート地点です。
たいていの物語は変化を描きます。このスタート地点での横とのつながりを基礎に、これから様々な出来事が起き、ぐちゃぐちゃと関係が入り乱れ、争い合っていくわけです。
では第2編で、全体の流れを見失わないために掴んでおいた方が良いことをまとめます。
1,フョードルとドミートリー(ミーチャ)が、グルーシェニカという女性を巡って憎み争い合っていること。
グルーシェニカを巡っての、フョードルとミーチャの争いはメインストーリーを動かす最大のエンジンです。(5など)
2,修道院での家族会議は、アリョーシャの予想通り大きな醜態となって終わり(8)、またフョードルを憐れんでいたゾシマ長老はなぜか彼に対して突然ひざまずいたこと「すべてを赦すことです!」。(6)
3,ゾシマ長老の説教や人柄。(ゾシマ長老の愛、万人へのあわれみの立場は、『カラマーゾフの兄弟』の大きな核の一つです。このテーマ一つにかけて読むだけでも面白いでしょう。)(全体)
4,ゾシマ長老に悩みを告白しに来たホフラコーワ婦人とその娘リーザ。(4)
ホフラコーワ婦人は、空想では人を愛せるのに現実では人を憎んでしまう、情熱的でちょっと妄想の強い、世に言う、ヒステリックなおばあさん的なキャラ。
リーザはその娘で、アリョーシャと小さなときから仲良くしていた。今は車椅子。かなりトリッキーなキャラで、彼女をどう捉えるかはそれだけで面白い。
見落としがちなこの二人は、このあとその自宅とともにバンバン出てくる。とくにフョードルとミーチャがとりあっているグルーシェニカと、そのライバルであるカテリーナ(カーチャ)という女性組と大きく関わる。ここでもリーザはグルーシェニカのライバル、カテリーナからの手紙をアリョーシャに渡すのだ。
「カラマーゾフ一家の男性組」と、「男性組をごちゃごちゃにする女性二人」との間に立つような立場と考えるとわかりやすい。リーザは、聖なる好青年アリョーシャと対になって関係する女性としても重要。
5,なんだかむかつくラキーチン。(7)
物語の影でいつもこそこそやりまくる、アリョーシャにつけ回る悪友。「カラマーゾフ一家」と女性とのいざこざを心底楽しみ、そこから利益を得ようというやつ。
(6,無神論や、「大審問官」といったイワンに関わるテーマを楽しみにしている人は、
イワンの他の神父との議論や、キリストの愛の立場であるゾシマ長老とイワンとの関わりにも注目しておきたい。キリストの愛の立場の体現であるゾシマ長老とイワンとの関わりは、このときが唯一である。ここを深く読んでイワンの内面を解釈することもできます。)
このあたりをなんとなく押さえていれば、もう十分過ぎます!
他の2,3の神父とか、ミウーソフ、カルガーノフなどはキリがないので、この編だけで頭の中からはさよならしちゃいましょう。あとはフョードルの道化っぷりや、イワンの大演説にむずむずすする二人の神父、ゾシマ長老にすがりつく民衆と彼らへの言葉などを思う存分楽しみましょう!
第3編「好色な男たち」深まっていく物語、いざこざ
第3編「好色な男たち」は起承転結でいうところの「承」といえます。新しい登場人物(グリゴーリイ・スメルジャコフなど)もチラホラ紹介されながら、第2編で少し顔を見せたストーリーの軸が肉付けされていきます。
(ドミートリーと父のグルーシェニカをめぐる対立と、ドミートリー・カテリーナ・イワンの三角関係)まだストーリーが本格的に展開していくわけではありません。
では、とにかくおさえておくべきポイントを紹介します。
1,女を巡る一家の争い。(4,5,10)
ミーチャ・カテリーナ・イワンの三角関係とグルーシェニカをフョードルとミーチャが取り合う。3編で一番大事なところです。
ミーチャはあるエピソードでカーチャに一度惚れました。(このカーチャにイワンが惚れている)しかしミーチャはカーチャのお金を横領?して、グルーシェニカにぞっこんです。(このグルーシェニカをミーチャは父フョードルと取り合っている。)
ではドミートリーはなぜカテリーナ(カーチャ)と婚約し、それを破棄しようとしているのか。カテリーナの心境、本当はイワンが好き?イワンは振られたということなどが、注目ポイントです。ここをどう解釈するか、面白いところでもあります。
2,新しい登場人物、グリゴーリイとスメルジャコフ。(1,2,6,7,)
老グリゴーリイはフョードルの長年の召使いです。フョードルとは正反対の謹厳実直な男で、
酒池肉林のさなか突然に襲い来る精神的恐怖と孤独を感じるフョードルにとって、ときたま救いとなる、信頼できる男です。スメルジャコフはフョードルの子ども疑惑のある下男で、本編では心の中でイワンをちら見しながら一弁論をぶちます。地味ながらも、メインストーリーで重要となる人物です。
彼の母リザヴェータなどの関連エピソードも、余裕があったら頭に入れておきたいところです。
3,グルーシェニカとドミートリーの性格(4,5,9,10)
ところどころにグルーシェニカとドミートリーの性格が描かれます。このカップルは『カラマーゾフの兄弟』の一番メインのカップルです。このあたりで二人の特徴、人間的な面白さを掴んでおけると、これからの物語がぐっと楽しめると思います。解釈のしがいもあるところです。(個人的には、フョードルの「道化のかなしみ」もぐっときますが。)
4,ドミートリーとフョードルの一触即発(9)
父ドミートリー家に乱入し、父親をぼこぼこに殴りつけ、この二人の間の決裂は決定的なものになります。
5,アリョーシャ、リーザからラブレター受け取る。(11)
最後の最後にちょろっと出るだけですが、見落としがちです。あの「空想の中では愛せるのに現実では愛せない!」と嘆いていたホフラコーワ夫人の、車椅子の娘です。
リーザはアリョーシャに「私はあなたを終生愛します」と書いています。アリョーシャはこれにどう答えるのか、第二部で出てきます。
以上第1部のあらすじとおさえるべきポイントをご紹介しました。この第1部では多くの読者が挫折してしまっているでしょう。それはほとんどストーリーの進行があまりないからです。
ストーリー展開がない分、その都度の人間や、ドストエフスキーの洞察を味わうべきところです。2,3回通読し終えた人は、逆にこの第一部でにじみ出ている人物たちの内面をしゃぶりつくすのを楽しみとします。「なんてフョードルはかわいいのだ!」とか「ドミートリーの高貴さと熱情の矛盾、うまく表現されてるなぁ」とか、です。
第二部、第三部と進むにつれてストーリー進行の面白さは倍増していきますので、
そっちはそっちでお楽しみください!
当ブログとぼくの活動についてはぜひこちらを御覧ください!
第一部の目次と主要エピソードをまとめた記事が↓です。
気に入ったエピソードや、部分的に読みたいところがあるときなどに活用してください!
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